幼い頃から、感受性が豊かだねと言われることが多かった。
音楽の授業でも、絵画を描いていても、何気ない日常でも。
言われる私もまんざらではない気でいた。
柔らかい音、まあるい音、芯のある音。
優しい空気、あったかい教室、ピシャッと凍りつく瞬間。
「言葉では言い表せない」こうしたものは、身体全部で感じるもので、私を満たしてくれた。
でもだんだん、人は「言葉では言い表せない」ことを言葉を言い表してしまうのだと知った。そうしないと伝わらないから。
語彙が増えれば世界も豊かになる。でも、テストみたいに単純じゃない
学校のテストでは、絶妙な気持ちを表す言葉をたくさん覚えて書いた。これはこれで重要なことだ。
言葉があるおかげで認識できる気持ちや、もやっとしたものはたくさんあるから。言葉によって世界は豊かになるから。
でも、それって、学校のテストほど単純ではない。ただパズルみたいに言葉を並べて、エンターキーで確定して提出するようなものではないと思う。並べ替え式で答えが出せるものでもない。テストのような日常ではつまらない。
高校に入っても、相変わらず私は「感受性の豊かな子」と思われていた。
ただ、そう言われても昔のような嬉しい気持ちはしない。みんなに合わせるのが苦手な子、少し変わった子、なんだかまだ子どもっぽい子。
でも、完全には理解できない人の感情の機微を想像してみたり、心の動きにじっと耳を傾けているのが好きなことには変わりなかった。
だからとりあえず、周りに合わせていれば変だと思われないだろうと、見た目を装って高校生時代をしのごうとした。
繰り返す遅刻、早退 問題はなにもないのに焦りだけつのった
しかし、無理だった。
身体も心もついてゆかず、今思うと鬱のようになっていた。朝は家で勉強し、午後から登校する日や、耐えられずに早退する日が続くようになった。
友達はいるし、人間関係のトラブルなどではなかった。勉強も上位に入れるくらいで苦痛ではなかった。
ただ、なにか焦りがあった。他の人よりも上にいくにはどうしたらいいんだろう、このままじゃだめだ、という気持ちに駆られていた。
だから夜も眠れず、勉強している途中で寝落ちして身体を冷やし、食事も太らないように過度な制限をしていた。だんだんと心身ともにぐったりとしていった。
ある日、不安な気持ちを相談すると、
「あなたはあなたのペースでいいんだよ」
と言われたことがある。
いつもこう言ってくれるのではなく、まさに心に響くタイミングで言われたことを覚えている。言ってくれたのは、受験勉強を見てくれていた塾の先生。
でも、テストや受験の日程は決まっているじゃない。結果がでないと意味がないじゃない。あなたはいつも点数が取れる方法を教えようとしているよね?
先生に対して矛盾したものを感じて混乱した。私はむくむく不安を大きくすることも得意なのだ。
焦りや不安に襲われる度に思い出す「あなたのペースでいいんだよ」
大学受験に失敗したと思い込んでいた。
中学3年生のときに志望大学を決めて、そこに向けて高校時代は部活に入らず、学校から塾に直行し、夜遅くまで自習室にこもっていた。それでも志望校に受からなかったから1年浪人したけれどそれでも受からず、結局志望校とは違うところに入学した。
地方から一人で上京し、不安もあった。だから大学入学後は何とか気持ちを保とうと必死だった。
受験勉強で味わった感覚が抜けない状況が続いたけれど、少しでも前に進もうとしていた。
だからたくさん学んで、自分で考える力をつける努力をした。学んできたことはテストの点数に関わらず意味があるはずだと思っていたから、その証明をしたかった。
学校で習う知識は、世界の歩き方だと思う。
歩んでいくのは知識ではなく、知識をもった私たち。
もっと考えたくて、大学3年生の夏から、哲学の勉強を始めた。1人では心許ないから、先生にお願いして教えてもらっている。
たぶん、私は大学受験に失敗してはいなかった。
こうして充実した勉強ができていて、私が満たされていく感覚をたっぷり噛み締めることができているから。考えることが自分には必要だということがよく分かっているから。
「あなたはあなたのペースでいいんだよ」
この言葉が胸が冷えるのを防いでくれている。
大学院に進もうか、いや就活してお金を貯めてから。でも私の能力では………。
またしても、いろんな不安が時間とともに押し寄せてくる。
でも、大丈夫。私は私の時間を生きればいいだけ。
じっくり心を満たして、素敵なものが見えなくならないようにすること、これが私の進路への答えだと思う。ゆっくりマイペースで、満たされた私がここにいる。これってとても素敵な発見じゃない?