私の母は一言で言うと「嘘をつく人」だと思います。

一般的に、「嘘をつく人」というとあまりいい印象を持たない人が多いでしょう。
ですが私は、嘘をつく母を素晴らしい人だと思っています。理由は、その嘘が人を傷つけるような嘘ではなく、安心させるための嘘だと思うからです。

「あなたは何も心配しないでいい」女手一つで育ててくれた母の言葉を鵜呑みにしていた

私の家は、父と母と私と、飼っている犬の小次郎の一般的な4人家族です。
一般的な家庭ですが、決してお金に余裕があるような家庭ではなく、父はいわゆる亭主関白な人で、母はそんな父を寛大な心で支えるような人だと私は思っています。

そんな亭主関白な父は、私の本当の父ではありません。
父と母は、私が高校一年生の時に再婚しました。

再婚する前まで、母は女手一つで私を育ててくれました。一人で育てるということはきっと金銭的にも心の余裕の面でも、決してゆとりがあるような状態ではなかったと思います。
しかし、母は再婚するまで、そして再婚してから今までも、私に不安を感じさせるようなことは一度もしなかったと思います。

少なくとも、母からの直接的な関わりで私が不安に感じたことは一度もありません。
なぜなら、母はいつでも笑顔で「大丈夫だよ」「あなたは何も心配しないでいいんだよ」
そんなポジティブな言葉をずっと発していたからだと思います。
小さい頃は、もちろんその言葉を鵜呑みにしていました。

「お母さんが言うのだから大丈夫なんだ」と。

うつ病の薬を服用し、体も心もボロボロになるくらい働く母の姿に気づいた中学生時代

しかし、中学生になると、いろいろなことが分かるようになりました。
母がうつ病の薬を服用していたことや、夜中に泣いていたこと、毎日体や心がボロボロになるくらい働いていたこと。

母は私に、そのような姿を見せないようにしていたのだと思います。

そして、中学校になってからも、母は、私が母のそのような姿に気がついたことを知らずに「全然大丈夫だ、何も心配ない」と笑顔で言っていました。
その言葉は嘘だと分かっていても、私はその言葉に何度も何度も救われ、気持ちを落ち着かせることができました。

「それまずいよ!」嫌な顔をして、不安を煽るような言葉を発する大学の友達

そこから私は、嘘の内容によって良し悪しは変わるのではないかと思うようになりました。
嘘は嘘でも、人を安心させるための嘘も良くないのでしょうか。

私は今大学に通っていますが、そこでの人間関係に少し悩みを抱えています。
今、私が仲良くしている子たちは、いいことも悪いことも口に出すことが多い子たちだと私は感じています。
普段その子たちと一緒にいるとすごく楽しいのですが、時々嫌な思いをすることがあります。

それは、不安を煽るようなことを言うからです。
どうして、その人が不安に感じていることを口に出した時に「それまずいよ!」というような追い討ちをかけるような言葉をかけたり、「うわー」などと、あからさまに嫌な顔をして嫌な態度を取ったりするのだろう、と私は思っています。

そんな態度を取っても、その人の不安が軽くなるわけじゃないのに、と。

「きっと大丈夫」「乗り越えられる」大丈夫じゃなかったとしてもそんな「嘘」なら

私はが今までの生活であまり不安を感じてこなかったのは、母が不安を感じさせるような言葉をかけなかったからだったのだ、とそこで気が付きました。
私は母のそのような言葉の「嘘」に、何度も心が軽くなる思いをしました。

だから私は、その子たちに、指摘という形で不安を煽るのではなく、その子たちが不安を打ち明けた時や、自分も含めたその子たちが、何か不安に思っている時には、「きっと大丈夫だ」と、「乗り越えられる」と、大丈夫じゃなかったとしても「嘘」をつくという手段も心を軽くするという面では有効だと思っています。

そして、私は成人した今でも、安心させてくれるような「嘘」をつく母に何度も救われ、今では母は私の誇りであり、憧れです。