私は自分の存在をちっぽけに感じれば感じる程嬉しく思います。
宇宙の果てを想像する時、音がいくつも重なっているスケールの大きな音楽に身を委ねている時、人が太刀打ち出来ない自然、美しさに恐怖すら感じてしまいます。その感覚が私は好きです。

夜が明けそうな時間を見計らって、近所にあった低い山に登った

私が中学生の頃、母が他界しました。その頃からその壮大で美しいものたちに心を寄せ始めました。父は元からいませんでしたし、兄弟とも折り合いがつかず、1人でいることが多くなりました。学校も通えなくなり、昼に寝て夕方頃兄弟が仕事から帰ってくる前に家を出て朝まで近所を徘徊するといった、腐った生活を半年程していました。

近所にあった低い山には、頂上に公園がありました。冬のある日、そこなら日の出が見れそうだ、とふと思い、登ってみることにしました。何枚も着込んで夕方家を出ると、深夜営業のレンタルビデオ屋やらをはしごして時間を潰しました。夜が明けそうな時間を見計らってその山を登りました。20分も掛からずに公園に着きました。公園と言っても気の利いたものは一つもない、更地にベンチと簡素な東屋があるくらいでした。一番見晴らしの良さそうなベンチで日の出を待ちました。
しばらくして、そのベンチでジリジリと昇ってくる太陽を見ました。

朝日はいとも簡単にまるごと飲み込んでいった。久しぶりの充実感

心がほどけていく感覚がありました。街が夜から朝に変わるグラデーションをじっくりと見たのはこれが初めてでした。自分が住んでいる街を、朝日はいとも簡単にまるごと飲み込んでいきました。太陽は世界中の全てに干渉していました。季節や昼夜は勿論、私のようなただの一個人の感情、人生にも大きく関わってくるものなんだと思いました。自分ではどうしようも無い巨大な力を目の当たりにした気がしました。SF映画を見ているよりも実体のある感動をその時抱きました。

久しぶりに大きな充実感がありました。救われることはないけど、美しいものを美しいと思えるだけで良いやと、その時本当に思いました。
徐々に街が起き始めてすっかりいつも通りの朝になった頃、私は山を降りました。
真冬の屋外にずっといた訳ですから、体は芯まで冷えていましたが全く苦に思いませんでした。学校や仕事へ向かう人とすれ違いながら、公園で見た光景を頭の中で反芻していました。

心を寄せていた壮大で怖くて美しい自然の一部に、自分があると思える

私はそれから最短ルートでゆっくり大人になりました。日の出を見た時から10年程たち、子供も産みました。10年も経ちましたから、あのときの日の出の記憶は随分薄れてきたと思います。あのときあんなに心を大きく動かされて、この記憶を大事に保管していたいと思っても、するりと滑り落ちてしまいます。現に私は母の声や癖や匂いを思い出せないでいます。

スピリチュアルな話は苦手です。実体のないものや魂の話など、肌に合わず避けてきました。
ただ、子供を産んでみるとまた大きな存在を生活の中に感じるようになりました。子供を寝かしつけてから、命の繋がりを時々考えます。ただ単に、自分は母という人から産まれて私も子供を産んだ、ということです。元を辿れば海に産まれたただ一つの細胞だった、ということでもあります。それを思うと、私が今まで心を寄せていた壮大で怖くて美しい自然の一部に、自分があると思えてきます。
心から感動したあのときの日の出の一部です。
どんなに落ち込んでも、それを感じられると私はまだ大丈夫と思います。私の感性がまだ機能していることを、あのときの日の出は教えてくれます。