拝啓 私を産んでくれた、世界でたった一人のお母さん。
今どこに居て、何を感じていますか。
私は生まれて2X年間ずっと、あなたを思うと、悲しくて苦しくて辛くて、

とてもとても、恋しかったのです。

絵本やテレビで見るような「お母さん」に憧れていただけだった

私は生まれてすぐ、母を亡くした。それは突然の死だった。予期せぬ誰かの死は、沢山の人の人生を狂わせてしまったのだと思う。私は覚えていないけれど、葬儀の場は色んな人の色んな感情が立ち込め、言葉には出来ないような空気で張り詰めていたという。もうずっと顔を見ていない親族もいる。その意味を父に問うほど、私はもう幼くない。「会いたい」と言うことも無い。その言葉はきっと誰かを傷つけるのだと知っているから。

「お母さん」の話は触れてはいけないのだと分かったのは、もうずっと前だと思う。幼稚園に入るよりもっと前、トイレに行くことより、本を一人で読むことより、自分の名前を書けることより、もっともっと当たり前のこととして身に沁み込んでいた。

私は一度、失敗したことがある。それは確か3,4歳の頃、従妹一家が、私と姉を遊びに連れて行ってくれるという話になった時、私は一緒に暮らしていた祖父母や父に気づかれないよう、叔母にお願いをした。
「あのね……お出かけしている時だけ、お母さん、って呼んでもいい?」

その言葉を聞いた叔母の目が、どんどん潤んでいくのを見て、「私は間違えたんだ」そう思った。でも、今ならわかる。まだ時計も読めないような小さな子が、一度も呼んだことの無い「お母さん」という言葉を呼んでみたいというのは、どうしたって人の心を震わせてしまうだろう。私はただ、絵本やテレビで見るような「お母さん」に憧れていただけだった。そう呼んでみたかった。休日は家族でお出かけをしてみたかった。大きくて温かい父の手と、白くて優しい母の手を強く握って、高く宙に舞ってみたかった。

いつだって真面目で努力家で在ろうとした

「母の分まで生きなさい」、「母に胸を張れるような人生を送りなさい」、「可哀想な自分に酔うのはやめなさい」周りの大人は、いつも私にそう強要しているように思えた。私は母との思い出が少ない分姉や父より可哀想じゃないから、世界にはもっと可哀想な子がいるから。口を開けば皆同じような言葉、まるで自分が良いことを言ったような満足げな顔をして。

私は自然と優等生になった。成績優秀、クラスで馴染めない子には気を配り、学級委員長も務め、通知表にはいい事ばかり書かれた。祖父母や父に恥をかかせないよう、いつだって真面目で努力家で在ろうとした。自分から母の話は言わない、聞かない、触れない。
運動会に誰も応援に来なくたって、合唱祭に誰も来なくたって、授業参加にそわそわすることがなくたって、親子体験授業の相手がいつも先生だって、私はいつもと変わらず明るく居た。

フレテハイケナイ ハナシテハイケナイ ワタシハカワイソウジャナイ
私は、その呪縛から逃れられなかった。でも本当は、叫びたかった。

お母さん、どこに居るの?私には何でお母さんが居ないの?なんで古いおばあちゃんの家に住んでいるの?私は可哀想じゃないの?どうしてそれを言うのは許されないの?
誰か、教えて、誰か、助けて。

今私が居る、という事実だけでいい。母が居ない事実を隠そうともしないよ。

でもね、お母さん。私は恨み言を伝えたい訳じゃないんだ。いつの間にか大人になった私は、有りのままの自分を受け入れられるようになったの。祖父母に温かく育てられ、優しいご近所さんに見守られ、気の合う友人と沢山出会い、「今」の私が居る。それはお母さんが私を産んでくれたから。お母さんが居たら今より幸せな人生だったのか、それは誰にも分らないし、どうだっていい。今私が居る、という事実だけでいい。母が居ない事実を隠そうともしないよ。そのことだって「私」を作り上げているから。

ねえ、お母さん。私は、本当はお母さんと過ごしてみたかったよ。一緒に洋服を選んだり、甘いお菓子を作ったり、恋の話をしたり。それは出来なかったけれど、私はもっと大事なことを知って学んだの。人の命は尊いとうこと、親でなくても親身になって見守ってくれる人がいること。

ねえ、お母さん。本当は誰よりもお母さんが一番、悲しくて苦しくて辛くて…そうでしょう?もしも、誰かが言うように、空のどこかで見守ってくれているのなら。もう、大丈夫だよ。きっと私は何とか生きていけるよ。だから、お母さんは自分の好きなように、思うままにいてください。

でも、一つだけワガママを言わせてほしい。
いつかどこかで出会ったら、一度だけ名前を呼んで抱きしめて。そして「お母さん」と呼ばせてください。お母さんからもらったこの身体と、名前を、包み込んでください。
そうしたら、どんなことよりも幸せを感じられるから。世界でたった一人の、恋しくて愛しい大好きな、お母さんへ。
敬具

追伸 お父さんは再婚してないよ。お母さんだけを愛してるんだって!なんか、素敵じゃない?