四畳半の小さなテリトリーにひしめき合う協調性ゼロな雑貨たち

私は実家暮らしで、四畳半の小さな和室が自分のテリトリーだ。少年がつくる秘密基地のような部屋……というのはきれい事で、裏を返せば統一感なく集められた品々でカオスな世界が広がっている。

元々家にあった古びた本棚は、北欧インテリアに似せたくて淡い緑のペンキを塗った。かと思えばモロッコインテリアにも心惹かれて、ネットオークションで格安購入した深紅の柄物カーペットを敷く。

棚の上には趣味のガチャガチャで集めた、岡本太郎シリーズやウルトラマンの敵ジャミラのフィギュア…もうどこの雑貨店で買ったか覚えていない用途不明の置き物までぞろぞろ陳列。

そしてまだまだ。ない隙間を埋めるようにポケットティッシュ!?やUSB!?(何故ここに…)、お菓子の入っていた空箱(かわいかったから)、捨てられないものが場所を取り合ってせめぎ合う。

挙句の果て、窓際に置かれた観葉植物たちは水を貰ったり貰えなかったりで歪な姿で成長中。カーテンには関心が向かなかったのか、適当な布がペラペラと頼りなくぶら下がっている。

こんなはずではなかった!!この一言に尽きる。

本棚にあるインテリア雑誌各種には「グリーンライフ」「心地いい部屋に整える」「片づく収納術」といった言葉が目につくし、私もそれらを参考にしたはずだ。結果この協調性ゼロの部屋は、なに??

私の内面が剥き出しになっている。床に落ちてる片っぽだけの靴下はずっと探していた洗濯物だ。私のだらしなさと、気のムラと、センスの無さと、あとは何がいけないの?

誰か教えてほしい、どうしたら私の部屋はまとまりのあるシンプルで美しい状態にできるのか。

答えを聞いたところで、それが出来るのかと問われればハッキリNOだ。私にとって憧れの部屋っていうのは、行ってみたいオシャレなカフェと同じような意味合いなのだ。カフェっていいよね、"なんか"いい。

「素敵な部屋=幸せのかたち」だけれど……

そこにいるだけで自分が実物より上等な人間になったような気持ちになれる。インテリアも、映える食事も、BGMも、優雅で余裕があって幸せの象徴のようにも思える。何よりカフェで過ごす時間はゆっくり流れていて、こんな日々が送れたら最高!でしょ。

SNSや雑誌にある素敵なルーム写真の数々は、私にとってカフェと同じく、分かりやすい幸せのかたちだ。

一方で現実は、忙しいときは掃除も手抜きでOK!花の水やり忘れてOK!逐一部屋の様子を気にする時間があるなら1秒でも長く惰眠を謳歌…!

私にとって雑貨を買うことも、掃除をすることも、インテリアを変えることも、余裕がある日の気分転換にすぎない。カフェに行くのが気晴らしであるように、部屋へのこだわりもそうなのだ。

そういうわけだから私はこの先も、北欧テイストやアジアンリゾート風に統一された埃1つない部屋とは無縁の生活を送るだろう。だって掃除さえ気まぐれなら、理想とする部屋のイメージもその都度変わってしまうのだから。

花瓶に花が生けてあって、それがまた部屋に似合う。生活感が気薄で美しい、あの部屋に住む人々は一体どんな人なんだろう。私のように怠惰な休日を過ごすこともあるだろうか、部屋に服を脱ぎ散らかすことがあるだろうか。

ここ数日の自室は、確定申告の書類で足の踏み場もないような惨状だ。少しでも幸せ感がアップするように飾った一輪のアネモネも、部屋の混沌に飲み込まれて本来の美しさを発揮できない。隣の芝生が青く見えるだけなのか、真に青いのか、私は目を凝らしてしまう。