大人になれば当たり前に好きな人と結ばれて当たり前に幸せに暮らしていくと思っていた。だって少女漫画の主人公たちはいつもそうだったから。
四六時中他人と一緒にいるという環境に大きな抵抗を感じている
さて、かくいう28歳のわたしは既婚者である。「なんでやねん!」というツッコミが聞こえてきそうだが、兎にも角にも既婚者なのだ。ただし、週末にしか会わない夫婦である。単身赴任中だとか、今にも離婚しそうだとかそういうわけではない。むしろこの流行り病のせいで入籍は済ませたものの結婚式が延期になっている新婚夫婦である。
ではなぜ週末婚になっているのかというと、(まだ一緒に暮らしてもいないのに)わたしが他人と暮らすことに対するリスクを感じてしまっているからである。わたし自身が1人になれる時間がないと心の疲労がリセットされないため、四六時中他人と一緒にいるという環境に大きな抵抗を感じている。一緒に住むということは少なからず相手と生活の波長を合わせるということだと思う。今までは食べたいときに食べていた食事の時間を合わせたり、夜に回していた洗濯機を朝に回すようにしたり...そのような小さな変化を考えるだけで嫌気がさしてしまう。わたしは結婚してからも概ね自分のペースで過ごしていきたい。しかし、一緒に住むのであれば適度な妥協は必須事項である。
好きだから戸籍を味方にした。一緒に住むか住まないかは別の問題
それならば結婚なんぞしなければよかったのではないか、とよく言われるが結婚をしたら一緒に暮らすということはマストなのだろうか? お互いに働き、それぞれ違う生活をしていた者が結婚を機会に一緒に住むということは確かに自然な流れだから、それにそぐわない者は不自然と言われればそれまでなのだが。わたしに言わせてみれば好きだから戸籍を味方にしたのだが一緒に住むか住まないかは別の問題である。四六時中一緒にいたいという感情は一切ない。同じマンションで、並びの2部屋を借りて生活するのであれば全然問題はない。同じ寝室、同じリビング、同じキッチン、数日ならば構わないのだがそれが365日続くと思うと辟易としてしまう。
今日も今日とてライフプランを思いながら毎日頭を抱えて悩むのだ
友達には「早く一緒に住みなよ」だとか「毎日顔見られるのって嬉しいよ」と言われることが多々ある。わたしにとっての幸せを感じるポイントはそこではなく、一緒に暮らしたいから結婚したわけではないのだが、いつもこの感情をうまく説明できずに曖昧に笑って話を終える。
わたしだってあなたたちが言わんとすることはわかっている。わかっているけれど一緒に住みたいとは思わない。しかしいつかは一緒に暮らさなければいけない、それもわかっている。そうして今日も今日とて今後のライフプランを思いながら毎日頭を抱えて悩むのだ、1人の自宅で。
「結婚、どう思う?」「うーん、いろんな夫婦の在り方があるってことをわかってくれる世の中だともっと結婚しやすくなるのになあ、と思う」