私は、YouTubeを開かない人間だった。
大学の授業か、Amazon musicに入っていない曲を聴く以外YouTubeの出番はなかった。
休みの日や移動時間はYouTube、という人たちのこと、よくわからなかった。
そんなに見るものあるのかな? 目は疲れないのかな?
スマホをたくさん見る罪悪感はないのかな?

私は、推しや好きなアーティストがいない人間だった。
好きなグループのライブやイベント、グッズにお金と時間を使う人たちの心理もよくわからなかった。
楽しそうだから、羨ましいような、でもちょっと羨ましくないような。
飽きたり、しないんですか…?
ときたましか会えない推しの存在って、むしろつらくないんですか…?

最近私にも推しが出来て、無縁だったYouTubeを観るように

しかし、最近私にも推しが出来て、彼らに時間とお金をかける日々を送っている。
グループのメンバー全員にそれぞれの魅力と個性とスキルがあって、性格もパフォーマンスも各々素晴らしい。
彼らにどっぷり浸かってしまったせいか、夢にも出てきた。夢の中の私は息が出来なかった。彼らを直視したいのに、直視できなかった。幸せだった。もっと好きになった。
彼らの一番有名な曲のダンスを練習して、踊れるようになった。
お風呂の時間は、もっぱら彼らのMVや公式チャンネルの動画を繰り返し観る時間になった。
おそるおそるスクリーンタイムを観ると、多い日で2時間、少ない日でも30分はYouTubeを開いていたことが判明した。

驚いたことに私のオタク気質はYouTubeにとどまらなかった。
彼らのグッズを買い漁り始めてしまった。
CDとステッカー、シール、歌詞カードなどが入ったセットを2400円で買った。
1000ピースのジグソーパズルで作る、2021年のカレンダーを4500円で買った。
そのカレンダーを入れるためのUVカットの額縁も2000円で買った。
彼らの写真入りのファイル、ポストカード、ポスター、ステッカーなどの基本グッズは全て押さえた。
大学生的には手に届く額だけど、微妙に高いんだよ~~困っちゃう。
私が彼らにトータルいくら使ったのか計算したくない。
彼ら関連のアカウントやハッシュタグを大量にフォローしたせいでInstagramとTwitterの時間も相当増えたと思う。こっちのスクリーンタイムまでもチェックする勇気はない。トータル何時間使ったかも計算したくない。

スマホに嫌悪感があり、自分に厳しい完璧主義な人間だった。なのに

そして私は、スマホに嫌悪感がある人間だった。
本も新聞も紙ベースじゃないと受け入れられず、読もうとしても読み進められなかった。
スマホ越しのネットショッピングも好きじゃないから、店頭で何でもそろえる派だ。
SNSを見過ぎた日の自分は大嫌いだ。
みんな、電子版書籍で頭に入るのかな?
ホンモノを見ずに購入して大丈夫?
SNSばっかの生活、空しくない?

だってさ、スマホって、すごいし便利だけど、所詮スマホだよ。画面上の話だよ。
カタいメールを打つのも、友達とのおふざけLINEも、嫉妬したくなる投稿も、綺麗な風景も、最新情報も、好きな人の画像も、結局は、スマホ。所詮、同じ画面上の出来事だ。
どのアプリを使っても、何をしていても結局は同じ画面なうえ、昨日見たものは大概覚えていない。
それに、インターネットは嘘か誠かわからない情報が多いように感じる。
それよりは、本の重さやにおいを味わいながら読みたいと思うし、自分で触ってお気に入りのものを買いたいし、憧れの国は実際に足を運びたい。
五感を刺激したリアルな体験の方が鮮明に覚えているよね。
例えば、昨日検索したヨーロッパの建物の写真は覚えていないけれど、10年前に家族で食べに行った海鮮丼とその時のことはありありと思い出せる。
出汁のきいたお味噌汁にも感動したこと。
満腹になったけど、お米もおいしくて時間をかけてゆっくり食べたこと。
すごく風が強い日で、テラス席しかないお店って知っていたのにスカートを選んだことすごく後悔したな。
細かいところまで思い出せて、温かい気持ちになれるのは断然自分が体感したものの方だ。
掌に納まるスクリーンの中の出来事じゃない。
憧れのサントリーニ島の写真には鳥肌は立ったような気もするんだけど、どんな写真だったっけ。昨日ことなのに思い出せない。
それよりは、当時好きじゃなかったお刺身をスカートを気にしながら食べた時間を思う方が好きだ。10年経ったいまも、風の強い日はスカートを履かないようにしています、実は。
その時の感情、その時の前後の思い出、というオマケつきで心の底から楽しめる。

そして私は、自分に厳しい完璧主義な人間だった。
だから最近の私は、YouTubeとSNSを止められないわ、スクショをしてデータをいっぱいにしちゃうわ、浪費するわで以前の私からしたらダメな人間だ。
だから今後は、YouTube見ない!これ以上買わない!って決めた。
でも、寝る前のYouTubeをどうしてもやめられないし、バイト帰りに今月4回目のご褒美としてまたまた別の写真のポストカードを買っちゃった。

でもこうして改めて振り返ってみれば、正直いいことばかりな気がする。
YouTubeをベストフレンドにした長風呂のおかげで全身のむくみがとれた。
彼らのダンスや歌に魅せられ、私の心の何かが動いているのも感じる。
バラエティー番組での彼らのチャーミングな言動のおかげで、笑う時間が増えた。
他のYouTuberの動画を見るようになって、メイクや髪の巻き方も学んだ。
楽しいんだね、メイクって。
こんなに色んな用途を併せ持つスマホの可能性を初めて感じました。
メンバー全員が大好きな”箱推し”の私は、1枚でも多く、1秒でも長く彼らを愛でたいから待ち受けを週1ペースで変えるようになった。
だから、スマホを開くたび新鮮な気持ちでいられる。
おかげで以前ほど心地よくスマホを使えるようになって、ネガティブな気持ちになることが減った。
パズルの時間は、山積みのレポートのリフレッシ ュになっている。
想像以上に難しかったパズルのリフレッシュが、 レポートになってるかも(笑)。
いつもと違う頭の使い方が出来て、適度な疲労感が心地いい。
ダンスを覚えるために何回も練習しているから、少~~しは有酸素運動になってるはず。運動が大嫌いな引きこもりの私には、健康でいるために必要な習慣だと思われる。
部屋に入るたび彼らのポスターが自然と目に飛び込んでくること、彼らのマスコットキャラクターのヘアピンで前髪を留めていることにも、自然と笑みがこぼれてしまう。
毎日ところどころでちょっとずつ幸せを感じるようになった。
明るい気持ちで毎日を楽しめるようになった。
ちょっと待って。冷静になって内省してみると合理的ないいことばかり起こってない?
これがひょっとして、いわゆる、ストレス解消、というやつですか??

以前の私からしたら”無意味”の部類だけど。止められないんだもん!

そもそも韓流を好きになるとは思いもしなかった。
これまでは英語の勉強を兼ねられるということで、洋画や洋楽しか好きにならないように自分の趣味を意図的にコントロールしてきた。
英語字幕で楽しみつつ将来必ず使う英語も勉強できるなんておトクでしょ。
だから韓流は、以前の私的にはスマホやYouTubeと同様”無意味”の部類に入る。
韓国語を勉強したいとも、韓国で働きたいとも思わないから将来への接続性がない。
だから韓流に自分を委ねることは、意味がない、ううん、時間の無駄使いだと思ってました。

これまでは、海外での意識高い系の活動のために週の半分以上を朝から晩までバイトしてお給料の8割は貯金に回して、残りの時間とお金は友達とのお出かけに使うように徹底してきた。

そんな私だったけど、実はもう既にどうしても止められない自分に諦めかけていて、学生生活最後くらい、気の赴くままに時間とお金を使う私も、いいんじゃない?これまでと違う過し方もアリじゃない?って思わざるを得ない状況ではある。

自分に甘い不完全な自分と不完全な毎日を無意識に受け入れていて、むしろ楽しんでいる自分がいるのが正直なところ。
YouTubeに時間を浪費することも、いつ好きじゃなくなるかわからない彼らのグッズを集めることも楽しくて仕方がないです、ハイ。
それに、心の底から欲しているからしょうがない。
止められないんだもん!
何かとさ、自分の心の声を聞いた方が良いって言うじゃん?
実際、パズルによるリフレッシュ時間とダンスの時間のおかげでメリハリのある時間を過ごして、毎日やるべきことはちゃんとやってるし、毎日ウキウキしながらら前向きな気持ちで笑顔でバイトも出来ているし、むしろいいことばっかりなんじゃない?
学生をフル活用して思うままに行動しながら大好きな洋画を楽しんでる、って思ってきたけど、これまで色んなことを頑張る完璧主義でいることを強制して、心の底から休めていなかったし、何より楽しめていなかったのかもしれない。
こういうのが、いわゆる息抜きなのかな?
こういうのが、いわゆる自分を認めるってことなのかな?

完璧主義な私から遠ざけていたものから沢山学んだ2カ月だったな。
自分が好きになるものは、自分でコントロールできないこと。
先のことばかり考えず、今の自分の感情に従うこと。
無意味でも、好きだからっていう理由だけで楽しんじゃうこと。
そんな自分を許すこと。
こうやって生きやすくするコツを教えてくれたのは、BTSでした。