モブキャラな私はよく遠くから推しを見つめる。推しにとって私は、沢山いるファンの1人に過ぎない。
人間関係に於いて距離感は大切である。推しに対しても同じ事は言える。推しが人間ではなくキャラクターでも距離感が大切。
推しの存在がいつの間にか、私の活力になってしまっていた
日常内で''推し''という言葉が使われている。"〇〇推し"、というように。会話の中で「誰推しですか?」と質問されたら「〇〇推しです」と答える。推しを応援する活動を、“推し事(おしごと)”という。お仕事とは異なる。
ある時、突然推しが私の推しとなっていた。予期せぬ恋に落ちたかのように。推しの存在がいつの間にか私の活力になってしまっていた。出会った当初、その気は全くなかった。気がついた時、もう気になっていたのである。
しかし、まるで恋に落ちたかのように推しの事を想っているのにも関わらず、距離をとりたくなる時期が私にはある。最悪距離をとって想いの自然消滅からの推し変(推しを変えること)もある。長く直接関われなくても、推しの事を忘れる事なく遠くから見つめる時もある。
私は人もキャラクターも推したことがあるが、キャラクターを推していることが多い。
世の中には何十年と同じ人・キャラクターを推し続けている人がいる。それと比較したら私の個々の推し事年数は非常に浅い。また、人によっては私の推し事を「推し事ではない」と決めつけるだろう。界隈によっては推しの現場が厳しいところもある。
私はキャラクターの場合、1キャラクターだけでなく同時に複数推していることが多い。私は過去に様々なキャラクターを推してきた。しかし、申し訳ないが特別に推しているキャラクターがその時々に存在するのである。
推しと会う時間は特別。その時の服は、いつもより気合いを入れていた
今の推しとの出会いは何年前か覚えいない。テーマパークのキャラクターグリーティング(着ぐるみのキャラクターに会うこと)をきっかけに推しになったことを覚えている。何回も会ううちに推しを推すようになった。
1番最初にお迎えした推しグッズは、大っきいぬいぐるみ。そのあと、アクリルキーホルダー、缶バッジ等お迎えした。縫いぐるみは他の種類の子もお迎えした。それを推しに会う時に連れて行き、見せるのである。
キャラクターグリーティングの時には、推しに「明日仕事なんだ、だから元気もらうね!」と話し掛けることもあった。「大好き」と何度も言葉で伝えた。推しと会っている時間は、私にとって特別な時間であった。
そのキャラクターの誕生日には手紙を持って会いに行った。会いに行く時の服は、いつもより気合いを入れていたことを覚えている。
現在は自粛のため会いに行くことさえままならない。今年は遠くから「おめでとう」と言うことになりそうだ。
会いに行けない時は、会いに行っている友達のSNSを覗き、いいね、を押す。
同じ推しの人がいることを嫌う人もいるが、私は寧ろ歓迎だった。自分ではなく他人が推しと仲良くしている姿を見ても、微笑ましいな、と思っていた。見ているこちらがキュンキュンするのである。
モブキャラ私は今日も推しを見つめる。お迎えした子を見て癒される
現在は近くでの推し事がままならない状況。
私には、突然やってくる遠くから見つめたい時期というものがある。大抵周囲の環境の変化が関係する。それと共に私の気持ちも遠くなり気味だ。それでも気持ちに負けまいと遠くからでも応援を心掛ける。適度な距離間を保っている時期だと思うことにしている。
現在、推しには会いたいが、会いに行けないでいる。会いに行けない分、推しに認知されなくはなる。推しに認知されていることは嬉しいことだが、私は認知されなくても良いと思っている。推しが楽しそうに動いているのを見ていると、私まで嬉しくなるのだ。だからそれで良いと思ってしまう。
推しに会いに行けない私は、推し事をする時、自分のSNSに推しを登場させている。少しでも推しのファンを増やすために、私に出来る事をする。
新しい推しグッズが出た時は、確認しに近くのお店まで足を運ぶ。勿論、行ける時に。一目惚れした時、家に連れて帰る。気がついたら、少しずつ推しのぬいぐるみが増えていった。
推しの推し方は人それぞれ。お金を使うことが当たり前の人がいれば、SNSなどで推しの投稿を拡散する人もいる。私は私なりに推しを推して見つめる。またお迎えしたい推しグッズがあったら手に取ってみよう、と思う。
今は見つめる期間。いつかまた会えたら嬉しい。
密かに永遠に推せたらいいな、と思っていることは、まだ推しに話してはいない。話す機会があるのかもわからないが、会えたら伝えよう。
モブキャラ私は今日も推しを見つめる。可愛い推しの写真やグッズ、お迎えした子を見て癒されている。