2020年、私は仕事を辞めた。3年以上勤めた大好きな仕事だったけれど、辞めた。
理由はたくさんあったが、ひとつは「自分はこの場所に必要とされていないのかもしれない」という思いだった。いつからか芽生えたその思いは、日に日に膨らんで、私を蝕んでいった。
そもそも私は私のことがあまり好きじゃない。だから自信もあまりない。笑顔で接してくれているあの人も、心の中ではもしかしたら私のことを邪魔に思っているのかもしれない。
あの人みたいに明るくない。あの人みたいに個性的じゃない。あの人みたいに仕事ができない。あの人みたいに……。

さびしい思いで迎えた最後の出勤日に「サプライズ」が待っていた

そんな思いを抱えたまま迎えた2020年秋の暮れ。最後の出勤日。
きっといつも通りに終わるのだろうと内心寂しく思っていたが、違った。同僚や友人たちが集まって、サプライズの「卒業式」を開いてくれたのだ(もちろんマスク着用で感染対策は万全でおこなわれた)。
コロナ禍の影響でなかなか会えていなかった子たちもたくさん居た。仕事が終わり急いで来てくれた子や、有給までとって来てくれた子も居た。

元々涙脆い私は、みんなが登場した時からもう涙が止まらなかった。「相変わらず、すぐに泣くんやから」と笑われた。
仕方ないやん、こんな素敵なサプライズ、泣くに決まってる。
みんなからのメッセージが詰まった動画や、友人からの送辞。手作りの卒業証書。たくさんのプレゼント。大好きなキャラクターのグッズや、好みドンピシャの雑貨。「きっと泣くと思って」と可愛いピンクのタオルハンカチもあった。そして、どのプレゼントにも添えられていた手紙。
インターネットやSNSが普及したこのご時世、印刷や画面ではなく小さな紙にペンで書かれた文字がとてもいとおしく感じる。

愛はさまざまなものに変身できる能力があることを知った

「またいつでも遊びに来てね。待ってるよ」
ああ、私は邪魔な存在なんかじゃなかったんだ。この場所に居て良かったんだ。私が勝手に想像していたあの人は、本当のあの人じゃない。そう思えて、少しだけ、辞めてしまったことを後悔した。すでに段ボール箱の中に収まった、これまでにも貰ったプレゼントや写真、些細なメモを思い出した。気づくのが、遅かった。

この世界には目に見えない、形も色も匂いもない、ひどく不確かな「思い」がたくさんある。不確かだけれど、きっと。

「あなたが居てくれて良かった」と記された手紙。
泣いて目が真っ赤になっている友人たち。
「帰っておいで」と、温かい料理を作り、家で待っていてくれた恋人。
名古屋から大阪への引っ越しを手伝うために、わざわざ車で迎えに来てくれた両親。

便箋に並ぶ文字も、涙も、スープの匂いも、白い車も、きっとすべて愛だ。

愛には様々なものに変身できる能力があるのだ。私の周りのみんなは、実はその愛の能力の使い手だった! 己の愛を、なんにでも変身させて世界を救うのだ!
…と、ちょっとダサいヒーローもののドラマに発展してしまいそうなことを考えながら、新しい仕事を探すのをサボってこのエッセイを書いている。

もらった愛に気づくとともに、私も愛の能力の使い手になるのだ

2020年、私はたくさんの愛をもらった。
…いや、少し違うな。今までもずっと愛をもらい続けていた。ただ私が見ようとしていなかっただけだ。
なので、訂正すると、私は「たくさんの愛に気づくことができた」。

2021年は、私も愛の能力の使い手になるのだ。愛を送りたい。もらったから送り返すのではなく、私も送りたいのだ。愛している人たちに、ありったけの愛を。
そしてこれからも、もらった愛に気づける人でありたい。こぼれてしまいがちな日常の小さな幸せを、きちんとすくって大事にできる人でありたい。

まずは夕方には仕事から帰ってくる恋人のために、キンキンに冷えたビールと腕を振るった手料理を用意するとしよう。