「結婚は運だど」
これは母の口癖だ。そしてこう続ける。
「どんなに長く付き合っても、好き同士でも別れる人は別れるんだ!おっかはラッキーだな」
けれど別の日にはこう言う。
「結婚は我慢の連続だ」
と。そんな母の言葉を聞いていると、果たして結婚は良いものなのかと疑問が湧いてくる。
そして誰もが聞いたことであろうこの言葉。
「本気で好きな人とは結婚しないほうがいい」
私はますます結婚がどんなものなのかわからなくなってしまう。要は結婚は愛情ありきの契約ということなのだろうか。
「離婚したら育てることができない」母の言葉に抱いたやるせない思い
私は28歳、独身。四人兄弟の末っ子として育った。末っ子にもかかわらず負けん気が強くて兄弟喧嘩も絶えず、そのたびに母はげんこつで成敗した。父は子育てのほとんどを母に任せて、働くことに専念していた。母もそんな父に違和感や不満を抱くことなく過ごしていたように思う。
子供ながらに両親の仲は良いほうだと思っていたけれどある時期から夫婦喧嘩が増えるようになった。父は酒癖が悪く、酔っては大声を出して暴れたりするので私たち兄弟は部屋へ逃げ込んだこともある。とっくに嫌気がさしていたけれど、なぜだか両親に離婚されるのだけは嫌だった。おそらく学校の友達や近所の人に知られるのを恐れていたのかもしれなかった。
けれど小学校高学年頃になると次第に、
「そんなに喧嘩するならば離婚すればいいのに」
と思うようになった。私は反抗期を迎え、苛立ちと共に母に咎めると母は恥ずかしげもなく、
「お父さんと離婚したらあんたたちを育てることができない」
と言った。それはつまり母の経済力の無さから出た正直な言葉だった。娘としては大迷惑である。だからと言って娘の自分が働いて母を養おうとも思えなかった。いつまでもやるせない、腑に落ちないまま、私は大人になっていった。
「いろいろあったけど幸せだな!」意外な言葉に拍子抜け
学生時代からメンタルが弱かった私は、すでに精神疾患を患い、大人になってもアルバイトで生計を立てる生活をズルズルと続けていた。恋愛も長くは続かず、どうやら自分は異性に依存しやすい、いわゆるメンヘラということを知った。だから尚更、結婚して楽になりたかった。欲を言えば養ってくれるような…。
ある日、実家に帰ると母は言った。
「今日はお父さんと結婚して35年だど!」
そう告げる母は照れていながらどこか誇らしげだった。あんなに子供たちに迷惑をかけておきながらなんて暢気なのだ!と、私は少しの怒りも交じってこう答えた。
「へえ、すごいね。幸せだった?」
「ん~、どうだべ!いろいろあったけど幸せだな!」
母は躊躇することなく言ってのけた。そのあっけらかんとした母の姿に私は拍子抜けして、同時にその健気さに笑えてきた。
私もいつか結婚してみたい もちろん、おっとより良い人と!
あの頃、本当は母も手探り状態だったのかもしれない。私ははじめて母の葛藤を見たような気がした。それを乗り越えた故の表情だったからだ。
いつか私も結婚してみたい。依存したり、寄りかかるのではなく、きちんと自立した状態で、できれば大好きな人と。
私はめったに話すことがなかった父に尋ねた。
「ねえねえ、私に結婚してほしい?」
目を丸くした父は
「んだな。でもおっとみたいな男はやめとけ」と申し訳なさそうに笑った。
「当たり前じゃん!おっとより良い人と結婚するよ!」
と私も胸を張って笑い返した。