私の父には発達障害があった。もう会えないけど、どこかで花嫁姿は見ててね

「大きくなったらお父さんと結婚する!」
無口な父に私は満面の笑みで宣言していた。
私の父には発達障害があった。幼かった私は毎日父を見ていたし、発達障害という名前すら知らなかった。
ちょっぴり不器用で、なかなか会話が成り立たない、突然怒ってどこかへ行ってしまう…
「不思議なお父さんだな~」とは思っていたが、世の中のお父さんはみんなこんなもんだと思っていた。
父は料理は全くしない人であったが、休みの日突然ホットケーキを作ってくれる時があった。
ホットケーキだなんて誰が作っても同じだと思っていたが、父の作るホットケーキは格別だった。
「一体なにを入れているのだろう?」毎回疑問に思い父に聞いてみたが「覚えてない」そんなやり取りが続き、結局今でも分からない。
マンガのイラストに出てくるような完璧な膨らみ方、形も綺麗に整い、マシュマロのようにふわふわしていた。
たまに焦げている時もあったが、たいてい父の機嫌が悪い時だったので「今日はお父さん怒ってるんだ」そんな子供なりの判断材料としていた。
あまり物事に関心のなさそうな父であったが、クレーンゲームは達人のように上手であった。
ぬいぐるみもチョコレートの山も、ほとんど1回で崩してゲットしてしまう。
「すくうボタン」を父が押し、「おとすボタン」を私が押す。今考えれば私は父がすくったお菓子をただ落としているだけだった。しかし当時の私は父との共同作業でゲット出来たお菓子だと思いとても嬉しく思っていた。
しかし家庭環境は複雑で私は悩みとストレスで体調を悪くし入院した。
退院が決まり、家に帰る日父と母が離婚している事と家がすでにないという事実をはじめて知った。
両親の関係が難しいのは何となく分かっていたが、私に一言の相談もなく入院中に全てが終わっていた事が悲しかった。
父とはそれ以来会うことはなかった。ラインで繋がってはいたが、父が退会していたので連絡もつかなくなった。
母に父のことを聞くのは何となく気まずい気がして、何も聞いたことはない。
父には生きていて欲しい、その思いから新聞のお悔やみ欄で名前がないかのチェックをして「どこかで生きているんだ」という確認をする。その程度しか今の私には出来ない。
「お父さんと結婚する」宣言をしていた私も、もうアラサーになるが彼氏もいないし、結婚の予定なんか全くない。
いつか私も結婚する日がくるのだろうか?
私がもし結婚しても結婚式に両親がきてくれることはないと思うし、「花嫁姿見て欲しかったな」だなんてちょっぴり悲しくもなる。
ねぇお父さん、お父さんと結婚はしないけど、どこかで私の晴れ姿見ててね。
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