結婚→お母さんになる

これが、幼稚園~小学生くらいの私のシンプルな認識。
「私はいつか絶対結婚する!」と鼻息荒く主張したかと思えば、出産がめちゃくちゃ痛いという話を聞いて、「やっぱり私は絶対に結婚しない」と言ったり。
結婚とお母さんになることが、セットだと当たり前に思っていた。

彼と結婚したいし子どもにも興味があるけど、腹も股も切りたくない

そして27歳を目前に控えた今、私は一生添い遂げたい!いつか結婚したい!と、思える人と付き合っている。
いつか彼との間の子どもを授かることにも、興味が無いわけではない。
しかし、子供を産むということの壮絶さを色々なところから聞くたびに、なんちゅー恐ろしいことを皆やっちゃってるんだ!と、戦慄半分、興味半分感じている。

私の母は帝王切開で私を産んだ。
幼い頃、母親は何でもできると思っていた時は、「さすが、ママは痛いのも我慢できてすごいなー」くらいにしか思わなかったが、よく考えたら腹切ってるんだよ!切腹じゃん!
そして私の妹も帝王切開だから、うちの母は2回もお腹を切っているのだ。いくら麻酔があるからって、恐ろしすぎる。
経膣分娩の方だって、普段は細い膣から、あの赤ちゃんのサイズを産み落とすのだから、ほぼ股を裂いて産んでいるようなものだと思う。

つまり、子どもを産むなら腹を切るか、股を切るか、(またはどちらも)経験しなければならない。

なにこれ、女子って詰んでる。

あれ?実は「母親」って普通の1人の女の子じゃない……?

そして、この痛みを超えた後も、育児と、そのためのお金を数十年、ずっと稼いでいくという無理ゲーが始まる。こんな大変なことを、同年代または私より年下の子たちが、もう経験しているだなんて。
母親は母親なのではなく、1人の女の子が「母親」という役割を担っているだけなのだと、この歳になって、私はようやく理解してきた。

それを意識すると、結婚のことをより考え込むようになってしまった。
もちろん、子どもを持たずに結婚生活を楽しむ選択だってある。でも彼は、いつか子どもが欲しいと言っているのだ。
ああ、結婚を考えると、セットで子どもが欲しいか欲しくないか、否応なしに選択を迫られる。すごく、煩わしい。

結婚や妊娠へ恐れを抱きつつも、先を行く人たちが眩しい

しかし、この恐怖心のおかげで、避妊にはものすごく敏感になった。
ピルまでは飲んでいないが、毎回コンドームを必ずつけてもらい、装着具合を自分でもよく確認する。
それでも生理が数日遅れると、不安になって妊娠検査薬で確かめ、胸を撫で下ろしたり。
彼氏にも、私がそういう不安を持つことをよく相談に乗ってもらって、なんとか精神のバランスを保っている。
セックスしなければいいだけの話だけれど、やっぱり身体の触れ合いを無くすのは、私たちには寂しすぎるので、仕方がない。
私は、こんなふうに知識をつけ、前よりも体と心と将来について、ちゃんと考えるようになった。
でも、そのせいで結婚とそれに付随する未来を選ぶ事が、どんどん怖くなっている。

そういう中で、子どもを持ちたい!(または持ちたくない!)という意志をまっすぐ持てる方や、若くて出来ちゃった婚をした方を見ると、軽い嫉妬を覚えてしまう。
そうなった理由は人それぞれだろうが、あっという間に結婚出産を経験できている事が、少し羨ましい。
もちろん、今の私では考えられないくらい、大変で嫌なこともあったのだろうけれど。
(実際、今私が妊娠してしまったら、私はとても困る。)
でも、未来をどうするか足踏みしてしまっている私には、もうその先を選んで歩いている彼女たちが、とても眩しく見える。

はぁー、いつか私も、勇気を持って次に進めるようになりたいよ

私は変わるのが怖い。
経験してしまえば、こんな風に悩んでいることなんて、笑い話になるのかもしれない。でも、そうなったら今悩んでいる、感じている私が無かったことなりそうで、ゾッとする。
「子どもはいいよー」と、出産育児を経験した多くの人が、口を揃えて言うように、私もいつかそう言うのだろうか。まるで、ヤバい薬を飲んだ人が、みんな同じように、うっとりしてしまうように。
今、こんなに怖いを感じていたとしても、わすれてしまうの?
こんなふうにぐちゃぐちゃ考えてる私は、とても醜いと思うが、スッキリ決めることは今はできない。

未来の私には、もちろん幸せになってほしい。
でも、出産や結婚をこんなふうに怖がっていたこと、どうか忘れないで。
子どもが生まれて嬉しくって、痛みも恐怖も越えられた私に、いつかなれるのかもしれない。「痛みなんて忘れたわー!」と言って2人目3人目と、産んだりするようにもなるのかもしれない。(または妊娠を選択しなかったり、そもそも不妊で、そんな事と無縁の生活を送る可能性もある)
でも、「うん、そう思っていた頃もあったけど、やっぱり子どもっていいよ~結婚はいいよ~」と、悦に入って、したり顔で言うようにはならないで欲しい。

いや、やっぱりなって欲しいかも。

はぁー、いつか私も、勇気を持って次に進めるようになりたいよ。