妊娠線というものをご存じだろうか。妊娠中にお腹や胸、太ももやおしりなどに現れる赤紫色のすじ状の線ことだ。妊娠線はできる人とできない人がいて、妊娠中の女性の体に起こる変化のなかでも、完全には元通りにはならない物の1つであるといわれている。そのため、クリームやオイルを塗って皮膚の乾燥を予防し、出来る線を最小限に抑えようとする妊婦さんが多い。

私はもうすぐ29歳になるが、3回目の妊娠にして、今さら妊娠線に怯えている。

3度目の妊娠で「妊娠線」を気にするようになったのは、なぜか?

正直に白状してしまうと、私は“子供を産む前の自分と変わらない見た目でいたい”のだ。

1人目2人目を妊娠した時には、自分の見た目の変化には無頓着だった。同世代の中で先陣を切って、出産に立ち向かう私のモチベーションは、働く女友達とそこまで変わらなかったんだと思う。ただ向こうから押し寄せる変化の波に揉まれていたら、十月十日は勝手に過ぎていった。妊娠後期の体重管理も程々に、妊娠線対策といっても普段使っているニベアの青缶を気が向いた時に下腹部に塗るだけ(それでも妊娠線はできなかった)。

しかし、3人目を妊娠している今は違う。妊娠初期からポンプ式のオイルをたっぷり(毎回12プッシュ)体に塗りつつ、本格的に体型が変化する今後に向けて、どこのブランドのオイルやクリームが良いのか、夜な夜なネットで検索している。

冬の妊婦生活は初めての経験なので、とにかく乾燥させたくない。自分の身体にできたひび割れなんて、できることならば見たくない。今さらそんな努力をするなんておかしいということは、自分が1番よく分かっている。私は、化粧もオシャレも気分が乗った時だけのズボラな主婦なのだから。それも、自分の腹部の皮膚というマイナーな部位に執着しているというのが、なんとも笑える。

実際「他人の腹部の皮膚を気にしたことあるのか?」と問われれば「全くない」と即答する。では、私がお腹にオイルを塗り込むのは、なぜなのか。一体何のため、誰のために、現状維持を目指しているのだろうか。

あの頃は少女だったけど、今はみんな一人の「女」になっている

妊娠線という言葉そのものを知っているであろう同世代の友人は、まだ少ない。スマホを見れば、途切れることなく流れてくる、人生の節目や転機を迎えたという報告。これから出会う未来の旦那さんや、現在進行形で好きな人、または推しのために、自身の美容に投資したというエピソード。そんなメッセージや投稿は、私をジリジリと焦らせる。

10~15年前に制服を着て笑い合っていた頃は、みんな“少女”だった。それが今では、各々が何か複雑なものを含んだ微笑みをたたえて、一人の“女”になっている。私の知らない内に、知らない所で。彼女達の物語を見聞きしていると、それはどこか遠い星での出来事のように思える。私はその煌めきを、ひどく乾いた別の星から、スマホを通して観測している。

既婚未婚に関わらず、目的を持って美に投資する彼女達の姿は、ただそれだけで美しい。世の中の29歳って、こんなにひたむきで純粋なんだと突きつけられる。私は、いつその枠から弾かれてしまったのか。

間違いなくいえるのは、20代の終わりを後悔のないように輝き尽くす女友達のエネルギーに、“女”としての私が影響を受けているということ。私の“主婦”という立ち位置は思っていたほど安定したものではなく、このままでは私の脆い29歳という輪郭は、崩れて落ちて消えてしまいそう。

そもそも私のお腹には、帝王切開の傷がある。それに2度の出産を経て伸びきった皮膚をまとい、お世辞にも引き締まったウエストとはいえない。「じゃあそこに妊娠線が出来たって一緒だね、ヘソ出しして街を歩くわけでもないんだから」というのは、重々分かっているのだけれど…。

それでも。それでもやっぱり、命を産み出す過程でできた帝王切開の傷や皮膚のたるみと、お手入れ次第で回避(もしくは少なく)できる可能性のある妊娠線が一緒だとは思えなくなったのだ。急に。だって、離れた場所から画面越しに見るみんなは、すごく楽しそうに自分を愛していたから。その様子はひどく眩しくて羨ましくて、私はその光に当てられてしまった。

私は自分に愛を注ぎながら、女性が持つ「価値」を高めていこう

私は子持ちの主婦だけど、みんなと同じ様に今の自分の体を慈しみたくなった。お風呂上がりに、いい香りのするオイルをたっぷり塗って、ゆっくりと丁寧に皮膚に触れてみてもいいだろうか。まるで価値の高い希少な素材を扱うかの様に、慎重に。私は、自分が自分を大切に思うことを許したいのだ。

若くして子どもを産んだって、体力があること位しかメリットはないと感じていたけれど、“同年代の友達が美しく輝いている”ということも、私が持ち合わせている大きな財産なのもしれない。例えば、10年後には彼女達の放つ光もまた、別の色に変わっていることだろう。もしも、私の3回目の妊娠がその頃だったなら、焦げ付くような羨望の気持ちを感じることも、妊娠線を気にすることもなかったかもしれない。

素敵なエピソードを聞くとザラリと胸が痛むこともあるけれど、きっとそれはお互い様。その痛みが自分を鍛え、自己肯定感を磨き上げるきっかけをくれる。

私もこの先、みんなと一緒に年齢を重ねて生きていく。そして、その時々で人を羨みながらも、自分に愛を注いでいく。なぜなら、眩しく輝くみんなと同じように、自分を丁寧に扱い続けたいから。自分自身を包むこの体も、この皮膚も、私という“女”が持つ価値の一部だと思って、大切に育てていきたいから。

主婦で妊婦の私は、今日もゆっくりと体にオイルを塗りこんでいく。もし、もこれから妊娠線が現れたとしても、その線も優しく撫でることができる、そんな女に、私はなるのだ。