舞台に立つときの自分は、まるで自分ではないみたいである。どこかいつもより高貴になった気分。いつも着ているあの服を衣装として着ているだけなのに、新品のブランド品を着ているような。私が高校三年間立ち続けたあの舞台は、素朴ながら輝きと、そして大きな誤想を生む場所でもあった。これは、そんな私の感性が揺れ動いた瞬間の話である。

あの場所に、今年も立てることを心から楽しみにしていた

 二〇二〇年十一月、大好きな文化祭は規模を縮小し、大幅な延期を経て行われた。そこにはいつも大金をばら撒くように使う出店も、密を作って運動部を応援する人の姿も、大人気公演の整理券を求めて校内をダッシュする人の姿も見当たらなかった。私の所属する団体の公演も、座席数をいつもの三分の一に抑え、声援なしの形で行われることになっていた。例年とは、全く違う形での公演、そして何よりも観客の声援がないことは、舞台に上がる人間にとってこれほど怖いことはない。それでも私は、毎年高貴な気分になれる、自分にわずかながら自信が持てて自分が少し好きになるあの場所に、今年も立てることを心から楽しみにしていた。

ロボットが私にうちわを向けた

 午後一時、今年の公演がはじまった。去年までは四回以上行っていた公演も、今年は時短のために一度きり。初回にしてファイナル。そして高校生活としてもファイナル。真っ暗な舞台、板付で始まる曲の準備のため真ん中を目指し五人で歩く。もうすぐだろう。立ち位置についたら音と光が同時に入る。そのときを胸の鼓動の高まりとともに待っていた。しかし、点灯とともに待っていた景色は、あの高貴な気分になる場所でも、衣装が新品のブランド品に見える場所でもなく、空席が目立ち、目だけが見えた観客たちの真顔で舞台を見つめるたった百人の姿だった。半袖の衣装に身を包んでいた私は体を動かしているはずなのに、寒くてその空気が苦しかった。私の名前も、カッコイイというお世辞も、黄色い後輩からの声援の一声も聞こえない。顔より下でロボットのようにうちわを振り続けてくれる観客たちには、いつものような笑顔はなく、感情を押し殺してながら観劇してくれているように見えた。
 楽しかったかと聞かれれば、迷わず楽しかったと答える。しかし、楽しかったと同時に今までの誤想に明確に気付いてしまう最後の公演になってしまった。舞台に立っている時だけは、自分がスーパーアイドルかのように、新品のブランド品を着ているような気持ちでいたかったのに、わかっていた現実を舞台上で突きつけられた感覚だ。

どんな人だって人を輝かせる太陽であり、輝きを受ける月である。

 観客から飛んでくる愛や想いがなければ、自分は輝けない。自分は太陽なのではなく、月なんだ。照らしてくれる誰かがいない限り、決して綺麗と人に言ってもらえないんだと。この日まで、舞台上では隠れてくれていたこの想いに出会ったことは、外出を自粛することよりも、出店で大金を使えないことよりも大きな痛手であった。今も突きつけられた現実は、一向に頭の中心から離れない。
 そんな私も春から大学生になる。それだけ落ち込んでも、どれだけ願っても時間は止まらず進んでいく。緊急事態宣言でイベントがどれだけ中止になっても、学校に行けなくても、卒業までの時間は決められていた。何処かで迫られている制限された時間に追われて生きているんだろう。何かあるたび可哀想と口を揃えて言われ、いつしか「可哀想なコロナ世代」と呼ばれるのだろうと今の私でも想像がつく。いつまでこの制限された時間の中生きて行かなければいけないかなんて誰もわからない。だけどその中で生きることを求められている今の若者の一人として、強く生きていきたいと思った瞬間であった。人生という舞台において
誰だって時に太陽になり、時に月になる。