1996年生まれ。今年で私は25歳になる。Instagramでは三人の同級生の結婚報告が流れてきた。
小学生の頃に書いたプロフィール帳には決まって結婚したい年齢に25と書いていたっけ。当時は中学生になれば大人になると思っていたし、高校生のときは大学生になれば大人になると思っていたけど、自分が大人になったと自負することは今でもなくて。
性格は3歳で決まるなんて言葉があるくらいだから、案外人の中身は歳をとらないのかもしれない。
例に漏れず私もその一人で、結婚は未だ縁遠く、現実味がないものに見えていた。そして同時になぜか、自分には訪れないもののようにも感じてしまう。
人はどうやって、この人と結婚しようと決めるのか
それは私が結婚というものに無知すぎるからなのか、絶対的な相手と出会っていないからなのか、理由は分からない。
もちろん、素敵な夫婦を見ると憧れたりするし、映画の中で想われたり、歌詞の中で歌われる彼女たちは一体どんな気分なんだろうと憧れる。
だけど私が安心して彼女達の結婚を見届けられるのは、そのエンディングが幸せになれると分かっているから。結婚に絶対なんて求める方が変なんだろうけど、私はただ知りたいのだ。
人はどうやって、この人と結婚しようと決めるのか。どう確証を得て、相手に身を預けるのか。それを運命だと言われてしまえばそれまでだけど、私には結婚までの計り方がわからない。付き合っている人はいるけれど、きっと結婚しないんだろうなと思う。それもまた確証はないけどそれこそどっしりとした現実感を帯びている気がしてしまう。
結婚は私の人生の一オプション。ゴールではない
こんな風に考えを巡らせていると自分の結婚観に気づく。
結婚は私の人生の一オプションとして存在こそしているけど、ゴールとしての席は設けられていないのだ。
この価値観を解せないと言われるかもしれないし、いわゆる女性の幸せからはみ出た感覚なのかもしれない。
でもそれは意外とネガティブなことではないのかもと思うのだ。
きっと自分を幸せにする方法が結婚しかない世界なら、私もせっせっと料理や裁縫に励んだのかもしれない。
でも今は2021年で、自分を幸せにしてあげられる方法はいくらでもある。
世界には私の興味をひいてくるものが沢山溢れているし、知りたいこと、やりたいことも沢山ある。
忙しい毎日にひっぱりだこだから、この先自分が幸せになれるか心配する時間はもったいないのかもしれない。
結婚は、関係のかたちの代名詞である
私だって、結婚への意欲は知らないから持てないだけで、もしこの先素晴らしい出会いがあればノーとは言いきれないかも。
調子がいいかもしれないけど、そのくらい私にとっては突拍なオプションだ。
言葉だけ大きくなっても、結婚は関係のかたちの代名詞であることは変わらない。
だから深く考えず、訪れるべきときに訪れるものとして置いておくことにした。
シングルでも人生を謳歌している人たちは沢山いるし、家族も友達もいる。
焦ってするものでもないとも聞くし、こうやって手放して考えてみるとかえって結婚という未知な存在との距離感が近くなったようにも感じる。
いつか私にその日が来たら「はじめまして」と微笑んでみようか、なんて。