木造の建物や石造りの倉庫、街のどこかにこっそり隠れるように、しかも支えられるように立っている。
そういう建物を見るのが私は好きだ。

観光客増加の影響で街中にそびえ立つ綺麗なホテル。
利便性に重点を置いたどれも似たような集合住宅。
最近はそういう建物が本当に増えてきているように感じる。
綺麗なホテルや素敵なマンションが立っていく街を見ると、急にどこか寂しいような、虚しいような気持ちにかられる私は、何かおかしいのでしょうか。

100年の歴史と建物の貫禄に、ワクワクが止まらなかった

私の住む北海道にも多くの新しいホテルが立った。
しかし私は、その陰にひっそりと立っている、100年、いや、200年はそこに立っているような、古い建物を見てはウキウキしている。

この気持ちに気がついたのは、今働いている居酒屋の影響が大きいかもしれない。
今から6年前、ビルの老朽化で新しい店舗を探していたオーナーが見つけてきたのは、築100年、木造の長屋を2つに割って貸していたボロ屋。
電気も水道も通っていないその建物の壁には大きな穴が空いており、昼間はその穴から差し込む光でかろうじて中が見える。
長年積み重なった埃と昔ながらの土壁の匂いがした。

正直不安だったのは本当の気持ち。
でもその中に息吹く100年の歴史と建物の貫禄に、ワクワクが止まらなかったこともよく覚えている。
建物を支えている臙脂色の鉄骨、大きくて太い柱に、むき出しのコンクリートの床。
昔住んでいた人たちが残していったもの。

私たちは今その建物の歴史と共に、そしてその建物に新しく歴史を積み重ねさせてもらっている。

新しく無くとも綺麗で素敵なものは昔からそこにある

こういう気持ちが、街中で見かける建物で生活している人にもあるかと言われると正直私にはわからない。
色んな事情と、人々の工夫と、歴史があってそこに立っているのだと思う。
私はそれを想像して、少し覗かせてもらって、更に想像するのが好きだ。
「そうか、この煙突はもう使っていないのかな」
「これは雪が積もった時のためにこうなっているのか」
「窓際のお花は庭から積んで飾っているのかな」
大事にされている建物には、また別の綺麗で素敵なものが見つけられる。

様々な人たちが生活して働く中、色んな事情で綺麗で素敵なものが新しくできることもまた、良いことだし、そういう事情なんだと私は感じる。
しかし、新しく無くとも綺麗で素敵なものは昔からそこにある。
それらを生かして、残していくことも、大切で尊いことだと私は思う。

どんどん未来都市のようになっていく日本の中で、そういう建物が壊されていくのを目の当たりにした時感じる虚しさを、私は大切に胸に取っておこうと思うのだ。