私の記憶ではたぶん中学生の頃。
宿泊学習先の体育館で校長先生がなにやら長い挨拶をしていた。正直内容はあまり覚えていない。だけど最後に残した「感性を磨きなさい」という一言だけは鮮明に覚えている。そしてこの言葉は、今でも私の中に宿り続ける。
高齢者介護での学び。みんな一生懸命に生きているのだと知った
当時、国語が苦手だった私は「カンセイ」と言われても漢字が浮かんでこなかった。家に帰ってから漢字と意味を調べ直したなんて恥ずかしくて言えない。素敵な言葉だなと思いつつ、本当の意味を理解したのは高校生になってからだと思う。
高校は普通科に進学せず、「福祉科」という介護を専門に学ぶことができる公立高校を選んだ。高齢者介護がメインではあったが、障害の勉強もしたし、いろいろな施設に実習にも行った。
学ぶこと、出会う人すべてが新鮮だった。新しい世界に飛び込んだ感覚だったけれど、それは私が世間知らずなだけだった。世の中にはたくさんのお年寄りがいて、何かしら障壁がある人だって少なくない。みんな一生懸命に生きているのだと知ったとき、この感性を大事にしたいと思った。人の心が分かる人間であろう、と。
「感性を磨く」体験は、人生にスパイスを与えてくれていた
大学では、教育学部へ。奇跡的に推薦入試で入学できた国立大学ではあったが、教師になりたいと言う夢は薄く、学力で入学した同級生と比較して劣等感を感じていた。
この劣等感を打ち消すような強みが欲しかった。そう思った瞬間、「感性を磨きなさい」の一言が頭をよぎった。私は勉強というベクトルでは周りを越すことができないけれど、感性を磨くことはできると思った。
大学に在籍しながらも、地域の活動に参加したり、子どもと触れ合ったり、学生団体やインターンもやった。もちろんアルバイトも、旅行も遊びも一通りした。とにかく自分で足を運び、人と関わり、初めての経験をたくさんした。
見える景色や、聴こえる音は土地によって違うし、街の香りだって違う。人にも食べ物にも文化があって、心揺さぶられる瞬間ばかりだった。
「私、感性を磨いてます!」とは実感していなかったものの、感じたことや考えたことを言葉に残していた記録や、思い出を振り返ると、あの経験がなかったら今頃どうなっていたんだろう。と思うほど人生にスパイスを与えてくれていた。
日常のすべてを五感で満喫し、第六感で思考する
普通って何かよく分からないけど、友人や家族からは「普通ではない」とよく言われる。初めは僻み、嫌味で言われていたと思う。
でも、気づけば「そんな経験できていいね」「私もやってみたい」「自由で羨ましい」と、自分に対しての見られ方が少し変わっていた。
よく、他人(ヒト)は変えられないという。
感性を磨き続けて、自分が変わっていったからこそ、ほんの少しだけでも他人(ヒト)の心を動かすことができたのかもしれない。
いろいろ周りに合わせよう、普通に振る舞おうと頑張っていたこともあったけど、結局は自分の心に嘘をついて生きていたから苦しかった。どこか満足できていない自分を感じていた。
シンプルに、心に嘘をつくことは健康ではない。だから私は、心豊かに生きるという基準を決めた。気の向くまま、赴くままに。
そのおかげで生きやすくなった。毎日が暖かな刺激に包まれ幸せだ。部屋に差し込む陽の光さえ愛おしくて、洗濯物の匂いも、澄んだ空気も、星空も。音も匂いも味も。五感で満喫し、第六感で思考する。
日常のすべてが心地良い。
生きることが難しくなくなったのは、良きタイミングで感性を磨き続け、心豊かに生きるという選択をしたからだろう。
中学生(13歳)のわたし、もう名前も覚えていない校長先生の話を覚えていてくれてありがとう。言葉は人の心に残ると知ったのもこの先生のおかげ。これからも感じたことは言葉に残しておきたいし、発信してみたい。誰かのためになるかもしれないから。
「感性を磨きなさい。」