「発達障害かも」
他人事とは思えなかった。
母もそう思ったのだろう。出来る限りのことをしようとしていた。

「もう発達障害のこと忘れちゃった。また調べないと」と母は言った。
私の時によく調べてくれたのかな。そうでなければ学ぶ必要などなかったはずだ。

軽度の発達障害。他人がなんとも思わないことも尋ねてしまう

この子は発達障害かもしれないと母は思っていたそうだし、私もそうだと思っている。
それでも特に授業でも人間関係でも困ることはなかったので、支援学校どころかこのことで病院へかかったこともない。
発達障害だとしても軽度の方だったんだろう。
母は小さな私の言動に驚く事が多々あったそうだが、皆多かれ少なかれこういうものはあるから気にしなくていいと言われてきた。
母は私のわけのわからない話もきちんと聞いてくれたから、それで安心することもできた。

それでも私は、他の人がなんとも思わないことまで気になって尋ねてしまう子供だった。
それも学年が上がるにつれ控えるようになった。
周りの子は同じようには思わないと知ったことだけが尋ねなくなった原因ではない。
周りの大人や友人たちが、一緒に考えてくれたり、自分なりに調べて答えを出してくれたりしたからだ。
大体こういうことなんだと思ったら疑問は薄れていった。また、周りは少し他と違う自分を攻撃しないんだと思ったら安心できた。
そういう人たちを困らせてはいけないと思った。

いい先生に恵まれたのだろう。
私の言動に驚きながらも、真摯に対応してくれる先生ばかりだった。
だからできるだけ自分で調べ、考え、予想を立てるだけで満足できるようにもなった。

厄介な感性を芸術に向けることで昇華することができると知った

それでも音はいまだに気になりやすい。
小さい頃は物音はもちろん、流れる音楽、合唱やリコーダー、カスタネットの音、なんでも気になって仕方がなかった。
あの音がなんだか変。この音が好きじゃない。刺さるような音がする。悲鳴みたいだ。あの音は分かれている。ささくれだっている。鉄の棘のようだ。縦に切った木の年輪のようだ。あの音は優しい。きらきらしている。

様々な音階を知ってからは音階に色を感じるようになった。プロの演奏の中には大体2~4色くらいの色を見つけられた。
ちなみに最近のポップスは透明っぽいなと思う。

CDなんかろくに聞かなかった小学生の私が聞く音は嫌な音が多かった。
気になって仕方がない。
しかしこんな話をして楽しい人など一人もいない。言わない方がいいと黙っていた。

気にしないようにしよう。と思って過ごすことはあまり気持ちのいいものではなかった。
それでも、これは悪いことばかりではないと知った。
芸術に対する感性が豊かなのだ。
自分で作品を作れば、細かいところまで自分の思うように作り上げることができる。
もちろん自己満足にすぎない。
それがある日褒められたのだ。
図工の時間、私の絵がよい作品の一つとして挙げられたのだ。たったそれだけのことが嬉しかった。
苦手意識もあったからか、それからあまり絵を描くことはしていないけれど前向きに捉えられるようになった。
以降いろいろあり、私は厄介な感性を芸術に向けることで昇華することができると知った。

人と違うところがあっても、長所として尊重できる社会に

こんな調子ではさぞ学校生活は退屈だっただろうと思うかもしれないが、かなり楽しかった。周りの人たちのおかげだろう。
優しい友人たちは私の話なんかも聞いて仲良くしてくれた。たまにいじる人もいたけれど、ほどよく関わって過ごしていた。
友達と話している時間や、だべりながら移動教室に向かうこともちょっとした幸せだった。

意外にも皆それぞれ気になることや他の人と異なる特徴を持っていると知った。
ふとした時にぽつぽつ話しだすのだ。
それを聞いて、いろんな人がいて面白いな。私はそんなの気にしたことがなかったなと新鮮な気持ちになった。

皆それぞれ違うところがある。
私はたまたま人より違うところが多いのかもしれないけれど、それでも楽しく生きている。
なかなかこれを直接生かすところはないけれど、悪いところにしか捉えられなかったそれは、私の長所にもなり今も活かされている。
皆で尊重し合い、異なる意見にも耳を傾け、一緒に考えることができる社会になったらどれだけいいだろう。
今困っている昔の私のような子供たちが、周りの人を尊重し周りから受け入れられることを願うばかりだ。