自分が一番大切にしていることは何?逆に本当に大切にしたいことは?
他人の目がどんどん私の感覚を狂わせる。

いつでもどこか他人と自分を比較して生きてきた。そのことによって自分の首を絞めていることも重々承知だ。
それを何年も続けてきた今では、街をすれ違う赤の他人からでさえ自分が評価されているかもしれないという不安に駆られるようになってしまった。常に高い評価を得たいという私自身の性分も相まって、自分に強いコンプレックスを感じるようになった。

学歴と体型。自分を卑下する二つのものさし

自分を卑下するようになったきっかけは大学受験の失敗だった。
小さな頃から高学歴である父のもとで勉強を強いられ、そのおかげで偏差値73の都内有数の進学校に入学した。
しかし、いろんなことを我慢して続けてきた勉強も限界を迎えていた。大学受験では張りつめていた糸がプツっと切れ、私は志望大学に全落ち、滑り止めに進学することになった。浪人の選択肢もあったが、結局は進学することにした。

父には、「人からは学歴で見られるし、学歴がないと生きていきにくい。人から見下されて馬鹿にされる。」そう教わってきた。受験に失敗し進学を決定した時、自分の中にもそんな思考が馴染んできてしまっていたことに気付いた。
学歴がないと人から悪い評価を受ける、そういった自分の中に根付いた考え方が私を支配して、今の大学に通っている自分を卑下するようになり、それは日に日にひどくなっていく。高校時代の友人たちのなかでは私と同じレベルの大学に進学した人はおらず、皆、正真正銘の高学歴である。そんな高校時代の友人の目も気にしている自分がいた。
そして「浪人すればよかったのかもしれない。もっと勉強すれば合格できた。」ともう変えることのできない過去の私の行為を責めるばかりである。

体型の面もそうだ。
最近の私たち世代の女子たちは“痩せている”ことをとても重視する。この風潮ももっと私を追い詰める。
顔の良し悪し、 一般に言う美人やブサイクなどの評価自体は、遺伝子に大きく左右される。そして、このような顔の評価より体型という観点は他人からの評価を一層明白にする。なぜなら、痩せることは自分の努力次第だという考え方が一般的だからであり、遺伝子によるものとは違ってある程度は自身の力で変えられるものという考えがあるからだ。
そこでは、自分が最近の“痩せている”基準に満ちた体型ではないということが、他人から自分が努力できない人間であると見られているように私自身に思い込ませる。
自分がデブではないことはわかっている。しかし、皆に“痩せている”と思われたい自分が過度な食事制限を私に強いる。

結局自分はどう思っているの?他人のものさしを気にしてしまうせいで

学歴で人の良し悪しは決められない。学歴が高くても他人に対して思いやりを持てない人もいれば、学歴が低くても厚い人望を持つ人もいる。もちろん逆も然りではあるが。
体型だって、健康体が本当は一番だとわかっている。食事制限なんてせずにおいしいものを好きな人たちと幸せに頬張りたい。

頭の中でこう思っていても、他人の、そして社会のものさしを気にしてしまう自分がいる。
この二つに対する周囲の目が私の自己肯定感をどんどん低下させていく。
他人にとって自分が価値のない人間のように思われるという私の中の妄想は、想像以上に自分の考えやメンタルに悪循環を及ぼしている。

2021年は、自分の価値観で物事を見つめる年にする

2020年、外出が格段に減り人に会うことも少なく、他人の目を避けられていたこの時間に安堵している自分もいた。しかし、それでは根本的に何も解決してはいない。

長年続けてきたこの考え方を簡単に変えることはとても難しいこと。
他人の目を気にすることで、自身の不断の努力を可能にして好成績を収めてきたことだってたくさんある。でもそこには無理があった。その結果が今の私だ。

他人の目を気にして、自分を卑下する。そんなことはもうやめたい。
自分が思っていることを無視しないであげたい。
いつだって自分が大事にしたいことを優先して、自分の価値観で物事を見つめる。そんな自分に変わる2021年にしたい。
そして自由に動ける世の中が帰ってきた時に、その社会の中でのびのびと生きていきたいと思う。