わたしには兄がいる。
兄は、不登校だった。中学生時代を毎日引きこもるように過ごしていた。わたしはその頃まだ小学生。兄と母がよく喧嘩して、母はいつも泣いていた。

「普通に」学校に行っている兄が良かった

わたしが運動会かなにかの代休で、平日休みの日があった。両親が仕事に出たあと、いつもの様に登校せず部屋にいる兄に「学校に行きなよ!」と怒った。
わたしは家でひとりになることがほとんど無かったので、テレビや漫画を独占したいと思い起こした行動だった。
兄はわかったわかった、と言って制服に着替え、玄関から出て行った。

よしよし、とリビングに戻りひとりでテレビを見始め、10分くらい経つと、妙な違和感に気付いた。玄関を見に行くと、ドアが開けっ放しにされ、外の風が入ってきていたのだ。
兄を見送った後、わたしはドアを閉め、中から鍵をかけたのに何故か。兄が学校に行かずに帰ってきたのだ。
わたしに気付かれないようにするため、ドアを閉める音を出さないように開けっ放しにし、2階の自分の部屋に忍び足で戻ったのだ。

開け放たれたままのドアを見つめて、わたしはしばし呆然とした。兄は本当に学校に行きたくないのだとはっきり実感した。ショックだった。「普通」じゃない。「普通に」学校に行っている兄が良かった、そう思った。

わたしに見下されたと分かった兄は、凄まじく泣き、怒った

兄の不登校の理由はよく分からない。おそらく友人と上手くいかなかったのだろうとは思う。
兄は優しくて、気が弱かった。スクールカーストに飲み込まれて、いわゆる「ヤンキー」達と関わるしかなかったのではないかと想像している。殴った、殴られた、タバコを吸った、などいろんな話が何となくわたしの耳にも入ってきていた。
家の窓ガラスもよく割れた。段ボールやガムテープで補修されている窓ガラスを今もよく覚えている。もはやそれが日常だった。

だからわたしは、兄が怖かった。でも、これが日常。これが現実。そう言い聞かせていた。
そして同時に兄はダメな人だと思っていた。兄は学校に行けない。わたしは行ける。兄は友達が出来ない。わたしには友達がいる。
兄より立場が上なような、そんな感覚があった。

ある日兄と大喧嘩をして、物を投げあって部屋を荒らしてしまったことがあった。それぞれ自分の部屋に戻らされ、わたしは父から、兄は母からそれぞれに「落ち着きなさい」と諭された。

そこでわたしは、「お兄ちゃんって、色々大変だったけど、お父さんとお母さんが頑張ったから立て直したんだよね」と言った。
その頃兄は、住む環境を変えて資格を取るために勉強していて、わたしはそれを《立て直した》と表現した。

偶然それを聞いた兄は、凄まじく泣き、怒った。物を投げ合うという大喧嘩をはるかに超える怒りだった。
わたしの《立て直した》という発言と、それに父が頷いたことが嫌だったらしいと後日母から聞いた。兄は、わたしに見下されていたとハッキリ分かったのだと思う。

兄はダメな人なんかじゃない。誰よりも優しい人だと分かってる

わたしは、学校に行って、友達もいたくせに、兄の苦しみにはとても無頓着だった。本当に失礼だった。《立て直した》なんて、上から目線だった。
未だにわたしは、この言葉を兄に謝ることが出来ていない。ごめん、お兄ちゃん。

それから何となく兄との会話が当たり障りないものになってしまったけれど、1年ほど経った頃、わたしの高校の文化祭に家族がみんなで来てくれたことがあった。
夕飯の食卓で、兄は「よかったな、お前にはいい友達がいるんだな」「この高校でよかったな」と言ってくれた。
そして、「俺もあんなふうになりたかったな」と笑った。その顔を見た時、わたしは悲しくなって、喜んでくれたことが嬉しくて、そして、やっぱり悲しかった。
こんな優しい兄を怒らせたわたしは、本当に不誠実な妹だと思い、強く自分の発言を後悔した。

わたしは、その後悔もあるからか、兄が不登校で引きこもっていた頃の映像が頭から抜けず、兄が自分で命を絶ってしまわないか、悪い人に取り込まれやしないか、不安になってしまうことが今でもある。
でも、兄の優しさは、人を助け支えていること、兄は既にきちんと強く生きていることも、わたしは分かっている。

お兄ちゃん、あの時は、ごめんね。
お兄ちゃんの不登校の側面しかわたしは見ていなかった。お兄ちゃんはわたしのことを大事に思い、理解し、見守ってくれていたのに。お兄ちゃんはダメな人なんかじゃない。誰よりも優しい人だと、分かっています。

こんなわたしの気持ちを、いつかきちんと言葉で伝えたい。
その時には、お互い素直に笑い合えますように。