ごく普通の姉妹だったはずなのに
私と妹はどこにでもいるようなごく普通の姉妹だったと思う。
くだらないケンカなんて日常茶飯で、子供の頃妹はしょっちゅう泣いていた。でもその倍、明日になれば忘れてしまうくらいどうでもいいことでよく笑いあった。
妹から貰った手紙にはカラフルな色使いで「ずっとなかよしでいようね」とか「だいすき」と書かれていたのをよく覚えている。きっと私も似たような言葉とハートマークを添えて手紙の返事を書いたはずだ。
このまま何事もなく大人になっていくのだと当たり前のように思っていたが、私が中学に上がった頃から徐々に会話が減り始め、やがて目が合うことさえもなくなった。
そして現在、私たちの仲はもはや修復不可能なまでに殺伐としている。
殺伐というより無機質のほうがしっくりくる。互いの存在などまるで最初からなかったかのように生活しているので衝突することはなく、これはこれで平和な日常と言えるのかもしれない。私にとって妹は他人も同然で、妹にとってもまた同じである。
兄弟とは、自由席で偶然隣同士に座ったようなもの
母は事あるごとに「いつからこんな風になってしまったんかなぁ」と言うが、私だって妹と最後に会話したのがいつで、どんな内容だったかなんて覚えていない。生まれたときからずっとこんな感じだったような気さえする。母の提案で一度だけ妹と二人で出かけたことがあったが、次の日にはあっという間にただの同居人に戻った。そんな生活が人生の半分近く続いている。
いつからか妹が泣いているところをめっきり見なくなった。一方、私の泣き虫なところは大人になった今でも治らず、一人で泣くことがよくある。
あるとき、些細なことがきっかけで数億光年ぶりに妹と口論になった。私が自室で声を潜めて泣いていると、話しがしたいと部屋の外から父が私に声をかけてきた。
顔を見られたくなかったので拒んだが父はなかなか引き下がらなかった。押し問答の末、私はほんのわずかだけドアを開けた。毛布を頭からかぶった私には父の姿は見えず表情も分からなかったが、私のそばに腰を下ろしたことだけはなんとなく気配でわかった。そして父は毛布の中でうずくまる私につぶやいた。
「兄弟っていうのは自由席で偶然隣同士に座ったようなもんや」
注意深く聞いていないと聞き逃してしまいそうな、いつも通りの口調で父は続けた。
「自由席だから席を立つのは自由。いつでも席を立てる。でも離れることはできん。兄弟は一生離れられん」
その言葉を聞いて堰を切ったように涙が流れ出た。妹が座っていたはずの隣の席はもう何年も前から空席だ。妹が隣に戻ってくる気配は微塵もない。お姉ちゃんらしいことなんて何一つしてこなかった。もっと優しくすればよかった。あんなこと言うんじゃなかった。振り返れば後悔だけがこれでもかと湧いて出る。
妹が私に向ける笑顔も、最後に交わした言葉も、「お姉ちゃん」と私を呼ぶ声も何もかも思い出せない。
年甲斐もなく泣きじゃくった。こんな風に声を上げて泣いたのは何年ぶりだろう。ぼんやりそんなことを考えながら、震える息を押し殺した。
父の声は最初から最後まで細々としていたが、それでいてどことなく威厳があった。
毛布の隙間から放り込まれたティッシュ箱から何枚かティッシュを取り出し、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭いた。きっと心のどこかで、もう一度妹と話がしたいと思っていたはずだ。結局今も昔も妹を想う気持ちは何一つ変わっていないのだ。
たぶん妹は戻ってこない。だけど私がここを離れることは無いと思う。妹がまた私の隣に座るときを、ただ静かに待っている。