普通、という言葉の攻撃性が騒がれるようになって、随分と経った。ダイバーシティがこれからのトレンドなのは明白で、一昔前の感性を曝け出せば容赦なくぶっ叩かれる。相変わらず「普通」と誰もが口にするけれど、多分その言葉自体にあまり意味はなくて、やばいとかうけるとか、もはやその程度の重みしかない気がする。そういう時代なんだなとただ思う。

安定した仕事。日々アパートと職場の往復。彼と別れ、泣いた

さて、私はつまらない人間である。
そこそこの地方大を出て、薄給で信頼度抜群の仕事に就いた。恋人はいない。来年10の位の数字が変わってしまう。漫然と、日々アパートと職場の往復を繰り返している。
恋人と別れたのは、27歳の時だった。彼が去って、残された自分の不甲斐なさに部屋でひとり泣き暮れた。何が不甲斐ないって、この年齢で結婚出来なかったことだ。
家族に結婚した姿を見せたかった。子供を作って報告したかった。あなた達の娘は「普通」に女の幸せ掴んでますよと伝えたかった。本当に彼と結婚したかったのかというと、正直、分からない。ただ「普通」のレールに乗って生きたかったことだけは確かだった。
一人になった私を、別に両親は責めなかった。考えてみれば当然で、大事な家族がろくでもない男と結婚してずっと虐げられながら生きていくことを推奨する親なんかいないのである。でも私は驚いた。適齢期に結婚出来なかった自分は本当に人生の落伍者に思えていたから。その時から「普通」とは何なのか、スタンダードに潰される自らの意思について思考することが増えた。

一寸先は闇。きっと大丈夫と言い聞かせつつ、白けている自分

そんな中、コロナ禍を通じて、否が応でも見えてきたことがある。周囲の働き方が、生活スタイルが、金銭感覚が、一気に変容したのだ。私は不安だった。というか、怖かった。どうしようもなく先が見えない気がした。
そんな私の心を支えたのは私が「普通」であることだった。そこそこの大学を出て、薄給で信頼度抜群の仕事をやって、それなりの生活をして。(それなりの生活って何だ?)だから私はきっとこれからも生活していける。一寸先は真っ暗闇だけど、気を衒った仕事をしてるわけでもないし、貯金も僅かながらある。スタンダードに生きている私は、きっと、きっと大丈夫。
恋人との離別で「普通」の概念に苦しめられていると気づいたはずの私は、今はその「普通」に縋って生きている。連日インターネットに溢れる生活苦の声を聞きながら、私は大丈夫だと言い聞かせている。そしてそれをもうひとりの自分が、白けた目で眺めている。そんな感覚がある。

足枷だと思っていた でも心の支えだった

「普通」との戦いは、肌の色やLGBTQで起こっているのだと信じていた。けれどそれは、もっともっと私たちの深層に食い込んでいるのかもしれない。
足枷だと思っていたものが、一方では心の支えだった。真綿で首を絞めるように、うっすらと息苦しく、でもそれ以上に、自分の価値観をそこに委ねきる簡便さと安堵があった。
毎日毎日、コロナのニュースを目にしている。いつかこれが終息すれば、私も「普通」の檻から脱出して、純粋に多様性を受け入れられるのだろうか。そう思いながら、そしてそれが自分には出来ないと知りながら、今日も私は「普通」の生活を守るため、「普通」の仕事に向かうのである。