誰かに何かを謝るなら、と言われたら。私はすぐに、あの子の顔が思い浮かぶ。

彼女と友達になったのは16歳の頃。笑いどころ、ユーモアのセンス、何より音楽の趣味がぴったり一緒だった。その頃の私は今考えるとすごくませていて、生意気だったと思う。一人で大きくなったような顔をして、でも学校生活では優等生をやめられなくて、変に拗れた高校生だった。もやもやを晴らすように、学外ではロックバンドを組んで、大きな声で歌っていた。そんな私が、高校の友達には内緒でこっそりと追いかけていたミュージシャンのある楽曲は、彼女のカラオケの十八番になったし、彼女が紹介してくれたバンドの楽曲は、今もサブスクのお気に入りリストに何曲も入っている。

彼女は高校生活で唯一、私の本当に好きなものをさらけ出せる人だった

ファッションの好みもよく合った。当時学校で流行っていた赤文字系の雑誌。彼女はその雑誌で特集を組まれているような服装を、量産型大学生、と言っていた。みんな同じような髪型・服装でつまらない、そんな意味だと思う。私にもなんとなく理解できて、もっと自由に生きたいねって、よく笑いあった。将来どうなりたいか、今ではよく思い出せない哲学的なことまで、彼女にはなんでも話すことができたし、彼女も私に色んな話をしてくれた。彼女は高校生活で唯一、私の本当に好きなものをさらけ出せる人だった。

私は下に兄弟が複数人いて、実家は極貧ではないけれど、裕福とも言えなかった。なので奨学金を借りて大学に進学することは我が家では当たり前の選択肢で、私自身も、自分が好きで通う学校のお金を自分で払うということにはなんの疑問もなかった。

想像を越えてお金がかかった。本当になりたい自分像から目を逸らした

しかし、アルバイトで得た給料と奨学金で始まった大学生活は、私の想像を遥かに超えてお金がかかった。通学費、教科書代、毎日の昼食代といった最低限学生として必要な経費から、サークルに所属するためのお金、大学の施設利用費、毎日違う服を着るための洋服代等々。周りの学生はみんな羽振り良く思えた。

学生としての最低限の経費を優先するために、19歳の私は気づいたら彼女の言っていた量
産型大学生になっていた。髪は明るすぎず、暗すぎない茶色のパーマヘア。彼女と、こうはなりたくないと笑っていた赤文字系統の服装。

常にアルバイトを3つ掛け持ちしていた私にとって、明るすぎず暗すぎない無難な茶色は、どのバイト先のルールも破らずに済むし、パーマをかけるとそれだけでなんとなくお洒落に見えるわりにスタイリングの時短になる。それに、赤文字系統の服装は着回しが効くので、ワンシーズンで数枚買い足せば事足りる。なぜあんなにも着回し特集が頻繁に組まれるのか理由がよく分かった。自分が本当に好きなものではないけれど、私にとっての「量産型大学生」は、自分の力でやっていくために必要な「武装」だと思い込み、本当になりたい自分像からは目を逸らしていた。

「どうしてみんな好きな色に髪を染めないんだろう?」と彼女は言った

半分フリーターのような大学生活にも少しずつ慣れてきた頃、LINEのやりとりは続けてい
た彼女から、久しぶりに遊びの誘いがあった。ブリーチで鮮やかな金色になった久しぶりの彼女は、まるで高校時代私たちが憧れたロックスターのようにキラキラしていた。彼女を見た瞬間、あんなに「武装」だと誇らしくも思っていた自分が、どんどんつまらない人間に感じて、羨望と嫉妬の感情がむくむくと湧き上がってきたのを覚えている。

そのあと彼女とはカフェに行ったが、何を飲んだのか、どんな話をしたのか、よく覚えていない。覚えているのは「大学はやっぱり量産型大学生ばかり。服装もそうだし、どうしてみんな好きな色に髪を染めないんだろう?」という彼女の言葉と、「だって、無難な色じゃなきゃバイトできないから」と返した時の、彼女の気不味そうな苦笑いだけ。
どうやって解散したのかも覚えていない。そのあと徐々にLINEの頻度も少なくなり、彼女とは結局それっきりになってしまった。
「本当になりたい自分になる」という選択肢から目を逸らしていた私にとって、自分の好きなことや大切だと思うことを大切にし続けている彼女が羨ましく、妬ましく思ったのだ。本当に、私はしょうもない人間だ。

ただ、私もその後奮起した。私も彼女のようになりたかった。
バイトを3つ以上掛け持っていたのは変わらないが、自分の好きなアパレルブランドでの販売員のバイトをメインに、髪型に規則のないアルバイトを新たに始めた。お金と時間に制限はあるけれど、その時の自分がやりたいと思ったことは、なるべく叶えた。何かを選ぶとき、いつも彼女の「どうしてみんな好きな色に髪を染めないんだろう?」という言葉を思い出して、なるべく自分がなりたい自分になれる方を選んだ。そうして出来上がったのが、28歳になった今の私だ。

「自分がなりたい自分」になれているのかは分からないけれど、確実に言えることは、あの時彼女にあの言葉を言われていなければ、今の私はいないということ。
彼女とは、もうすぐ共通の友人の結婚式であの時ぶりに会う。「あの時、いじけてごめんね」と、会えなかった分の近況報告を思う存分したいと思う。