ウルトラマンごっこで私はティガがいいのに、男の子は母をやれという

4歳か5歳くらいの頃。私はウルトラマンが好きだった。幼稚園の庭で遊んでいると、向こうでウルトラマンごっこをしている男の子達を見つけた。私は喜び勇んで声をかけた。

「ねえ、私もウルトラマンごっこやりたい」

男の子は不思議そうな顔をして、それから私にこう言った。

「いいよ。じゃあウルトラの母やって」

私はむっとして言い返した。

「嫌だ。私ウルトラマンティガがいい!」

ティガは一番好きなウルトラマンだ。夜景に映える赤と紫のボディがカッコいい。男の子は、今度は首を傾げて言った。

「なんで? ウルトラマンは可愛くないよ? カッコいいんだよ? カッコいいのは男の子のもので、可愛いのが女の子のものなのに、なんで?」

恐らく彼に悪意は無かった。しかし、だからこそこの言葉は私に突き刺さった。

「カッコいいものを好きになり、可愛いものを好きにならない君は女の子として変だ。おかしい」

あからさまな差別主義者ではなく、どこにでもいる普通の子供の言葉だったからこそ、そういう呪いをモロに背負ってしまったのだ。

可愛いを極めた映画の主人公に一筋の光を感じ、ロリィタの道へ

「可愛くなれない」

この一点が強烈なコンプレックスとなって、ずっと私にのしかかっていた。勉強ができる、博識である、でも可愛くなれない。絵が描ける、文章が書ける、でも可愛くなれない。他に如何なる美点があっても、この一点が払拭されない以上、私は女としてまともに生きられない。そんな息苦しさの中で長い月日が過ぎた。

ある日、私は一本の映画に出会った。その名も「下妻物語」。深田恭子演じる主役のロリィタ女子高生、竜ヶ崎桃子の語る孤高の精神に、私は一筋の光を見た。

『人は一人じゃ生きられないなんて、だったら私は人じゃなくていい。ミジンコでいい。寄り添わなきゃ生きられない人間よりも、ずっとずっと自立してるもの』※1

これだ。これを目指すんだ。私も、彼女のようなロリィタになりたい!
その日から、私の「可愛い」を極める修行の旅が始まった。

どうせ可愛くなるのなら。誰一人迂闊に近寄れないほど可愛くなろう。すれ違う人が皆驚いて道を開けるような、誰にも負けない「究極最強の可愛い」を手に入れよう。

倉庫作業のバイトに邁進し、ロリィタな服とアイテムを買い揃えた。幸運にも出会えた同好の先輩の手引きで、生まれて初めての化粧をした。

カッコいい可愛いは誰のものでもなく、好きなものに性も年齢も関係ない

そしてその年の秋。私は近くの駅前で開催される、ゴシックとロリィタのクラブイベントに参加した。二枚履きのパニエの重みを引きずり、先輩と二人で雑居ビルのエレベーターを降りた先で、私は想像を超える世界に出会った。

色とりどりのビームライトが照らす中。竜ヶ崎桃子のようなフリフリの可愛い服を、男の人が着ていた。V系バンドのボーカルのようなカッコいい服を、女の人が着ていた。ドーランで顔を真っ白に塗り、魔物のような姿になったメイクショーのモデルさんは、男か女か分からなかった。

そこに性の境目はなかった。年齢の境目すらもなかった。カッコいいも可愛いも、全てがそこにいる皆のもので、同時に誰のものでもなかった。私の背中に乗っていた重たい岩は、厚底ブーツとヒールの足音で粉々に砕け散った。

「可愛くても、可愛くなくても、君は君の好きなものを、ただ好きでいればいいんだよ」

会場全体の空気が、私にそう言ってくれたような気がした。

時は流れ、最近の私のファッションは徐々に、幼い頃から好きだった「カッコいい」の方角に舵を切りつつある。今年の夏に髪をショートカットにしてからは特にそうだ。それでもまだ、あのイベントに着て行った洋服は大事に仕舞ってある。またいつか袖を通す日が来るだろう。

「可愛い」にも「カッコいい」にもなれる今の私は多分、誰にも負けない究極最強の存在だと思うから。

≪引用≫
※1……映画「下妻物語」脚本・監督:中島哲也 本編27分頃