音楽を聴くと涙がでてしまうほどに感動したり、ハーモニーに聞き入って一日の疲れを癒やすことができたりする。
声色から、相手の機嫌、調子を察知する。
留学経験はないが、英語がよく聞き取れる。発音がいいと言われる。
会議が続くと、ものすごく体力が消耗してしまう。
テーマがコロコロ変わる女子会でのおしゃべりで、途中で話についていけなくなってしまう。
私の“聞く”が少し人と違っていると気づいたのは、大学卒業後、働き始めて少し経った頃だ。
自分の“聞く”に向き合って気が付いたこと
大学時代は、大事なことは教科書やノートに書いてあった。目から入ってくる情報のみ頼りにしていても、さして大きな問題はなかった。
働き始めると、状況は一変した。上司に言葉で言われたことをすぐに自分の行動に反映させたり、取引先でやり取りした内容をチーム員に報告したりといったことが仕事の基本だ。
耳から入ってくる情報の重要度が格段に上がった。そうして、「言われたことを頭に入れること」が苦手であることに気が付き始めた。
それから、自分の“聞く”に向き合った。いくつかのことに気が付いた。
一つ目は、単純に聴覚が鋭いかもしれないということ。職場で遠くにいる人の話し声まで耳に届く、映画などを観ると大きな音で身体がビクッとしてしまい恥ずかしい思いをする、ベース音だけ聞けば曲名を当てられる、などなど、聴覚が鋭いことをあらわすエピソードがたくさんあることに気が付いた。
二つ目は、相手の喋りから、単なる内容だけを聞くのではなく、その人の感情まで想像し、どう返答しようか思考し始めていること。また、言葉の裏側にあるものは何か考え始めてしまうこと。思考が始まると、音として聞こえてはいても、言われていることを理解するところまで到達しなくなるということだ。
自分が耳から入ってくる情報にめっぽう弱いのは、このことが原因かも、と思った。
自分の“聞く”力は、もしかして強みなのかも?
まず、聴覚が鋭く反応し、人の話も音として聞いてしまい、話が頭に入らない。話が入ってくれば、思考が始まり、聞こえなくなる。
思えば学生時代から、「また、話を聞いてなかったでしょ!」と友人によくいじられていたのを思い出した。働き始めても、「さっきの話、聞いてた?」と上司に聞き返されることもあった。また、会議が3つ以上ある日は、耳が消耗し、終業時にはぐったりしてしまうくらい疲弊した。
一方、自分の“聞く”に対する悩みを話すと、「別にそんなこと思ったことなかったけど」と言う友人もいたし、私の議事録をみて「話の内容を深く理解していて驚きました」と言ってくれる上司もいた。
自分の“聞く”力、コンプレックスだと思っていたけれど、そこまで、気にする必要はないかも、というか、強みと言える部分ももしかしたらあるかも…?
自分の感性の源である“聞く”力に感謝している
それからというもの、自分の“聞く”の弱みをカバーし、強みを伸ばすために色々チャレンジしてみた。
弱みをカバーするために、人の話を聞くときは、聞くことに集中し、思考しすぎないこと。
言葉を、言葉通り受け止めてみること。
聞いた情報だけを頼りに思考して結論に達するのではなく、会話することで結論を導きだすこと。
強みを伸ばすために、議事録の作成を積極的に担当し、内容を仕事仲間に適切に共有化すること。
相手の気持ちに共感できることを活かし、協働力につなげてみること。
国際学会に手を挙げてみること。英語会議の進行役にチャレンジすること。
まだまだ改善途中だけれど、前より周りの人と良好な関係が築けるようになった気がするし、何より、自分に自信がついてきた。
アプリで音楽を聴いていて、美しい曲に出会ったとき、場所構わず涙があふれてしまうのは恥ずかしいけれど、自分の感性の源である“聞く”力に、今となっては感謝しているし、なんとなく愛着がでてきた。これからも、よろしくね。