無意識に趣味を人によって合わせてしまう癖がある。
例えばyoutubeを見てマイペースに時間を一人で潰せる友人とは出会いがない、だの趣味がない、だのぶつくさ言いながらAmazonプライムを見る。
当時の彼氏によって音楽の趣味がhiphopになったりロックになったりする。ハイブランドが好きなちょっと仲良くなったティンダーでマッチした同い年の男と話すために、渋谷パルコのフロアを隅から隅まで見る。
勿論、他人から吸収することは素晴らしい。いいところはいいところで奪えばいいとは思うが、23歳にしてフリーターでふわふわと宙に浮いている私はふと、自分の軸がぶれすぎていることに恐怖を覚えた。

自分に自信がない青い時代、感性を曲げて誰にでも適応できる女の誕生

そもそも私は自分の感性を信じることができない人生を送ってきた。
中学時代はボーイズラブだとかアニメの世界にどっぷりと漬かり、容姿も今より10キロはあったため安野モヨコよろしくまさに「脂肪という名の服を着て」自分に自信のない青い時代。
もちろん容姿が全てではないし、自分の好きなものを自信を持って好きでいればきっと胸を張れるのだ。ボーイズラブに関しては学生時代と比べたら触れないが、繊細で感情の機敏を描いているものが多いからいいものを好きだったと今では自信を持てる。
しかし私は俯いて「胸もでかいしヤるだけならあいつだよな」、という言葉に傷つき、好きなものに蓋をした。それから自分の感性を曲げて曲げて誰にでも適応できる薄っぺらい女が生まれた。
 話題に適応するのは楽だった。「へ~!そうなんだ~!教えて~!」って興味を持てば自分の承認欲求だとかつながりを求める穴のような気持ちは満たされた。穴は満たされれば満たされるほど中肉中背のボブヘアーでアニエスベーのキャンバストートを持った誰にでも万人受けする私が出来上がった。

吸収しすぎた結果多趣味になった私。今はそれでいいと思っている

本当は太ってた頃はKERAだとかZipperだとか青文字系の自信に満ちた女の子たちが好きだった。そんなことも、とうに忘れてしまって量産型の誰にでもウケがいい私は、私の感性とは、そもそも何だったんだろうか、と不安になる暇もなかった。
当時の大学でできた彼氏に振られない努力や周りの友達についていくだけで必死だったのだ。結果的に自分の好きなものを蔑ろにして心の救いを対外関係に依存した私は学生生活がままならなくなり留年したわけなのだが。
 今の私の趣味は吸収しすぎた結果沢山ある。youtubeでネットラップを漁ること、自分へのご褒美にワンシーズンに一回憧れのハイブランドの長く使えるアイテムを買うこと、夜の散歩、筋トレ、古着を見ること。
他人の話についていくための勉強が自分の感性になったのかはまだ分からないけれど、今はそれでいいと思ってはいる。愛想笑いをする癖は未だに直らないし、自分の感性なんてまだそんじょそこらの女に身に付けられないと開き直っているがそれでいい。
沢山の自分の嫌いなところも、こいつ変って言われる習慣も引っくるめて許すことがきっと私の感性なんだって胸を張れる私になれば、世界はきっと楽しくなる気がしている。
もう私は蓋をすることもない。合わせることはまだするかもしれないけれど、大丈夫。漠然とした不安がある世の中だけれど、自分の世界という感性を守れる世の中になるように。