「自分が選んできた」という実績のなさが、自尊心を削っているのかも

ママ友が綺麗だ。いろんなタイプのママと出会ってきたが、皆一律に、私よりも綺麗に思える。しかし冷静に考えてみたら、なぜ私はそんなに自分を低く見積もってしまうんだろう。

まずはみんな単純に、見た目が美しい。その美しさはママによってそれぞれで、抱えている物の重みが表れている気がする。私が29年生きている中では全く見る事のなかった、知らない世界の何かを、どのママも胸に秘めている様に感じる。そしてそれがしっとりとした笑顔の裏で、時折鈍く光って、私を圧倒する。

ママ達の唯一の共通点は、ほぼ確実に私より年上だということだ。22歳で妊娠した私よりも早くに第1子を出産したというママとは、出会う機会がほとんどない。多くのママ達は社会人経験を積み、結婚相手を選び、子どもを産み育てることを決めてきている。

そういう意味で、私は本当にママ達と同志なのかと言われると、やはり怪しい。私は、今の家庭を築くにあたって、人生を「自分で選んできた」という自負がほとんどない。私たち夫婦は、いわゆる若い夫婦のデキ婚だった。仕事を辞めること、主婦になること、入籍して式を挙げること、子どもを産むこと、新居を購入することなど、大きな決断全てが、私の選んだタイミングではなく、自然と流れで決まっていった。

私が言いたいのは、人生のターニングポイントで「自分が選んできた」という実績のなさが、私の見た目に関する自尊心を削っているのではないか、ということだ。

若さというズルい武器を、できる限り長期間、有効活用していこう

私が思うママ友の「綺麗」というのは、モデルさんみたい!とかそういう物差のことだけではない。カドがとれたというか、柔らかくって、とろんとしたまろやかさ。他の家の子どもも丸っと包み込めてしまいそうな、包容力を感じさせる表情。私の子育てに関するちっぽけな悩みも、彼女達に相談するとフワッと溶けてしまう。「大丈夫だよ」と言われると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議なものだ。

そんな風に、見た目にも滲み出るような美しい人間性を、みんなはどこで身に付けてきたの?やっぱり20代は、バリバリとお仕事をしてきたから?結婚に向けて、パートナーとしっかり向き合ってきたから?子どもを作ると夫婦で決めて、出産のその日を迎えたから?それらは私にはどれもこれも欠けている経験だし、もう2度と取り戻せないものばかり。

カドばったメンタルで、どうにかこうにか育児をしている私が、自分を卑下しながらもママ友の優しさに甘えていられる理由、それは単純に、若いからだ。若いから、未熟であることを当たり前だと思ってもらえる気がして。現に、年がひと周り以上離れたママも、私にとても良くしてくれる。

若さが武器だなんて、前時代的だし、どう考えてもズルい。それは分かっているのだけれど、私には今のところ、これしかないのだ。そして、ママという業界に居続ける限り、若いというアピールポイントは、なんと子どもが巣立つまで有効なのである(そんな業界も中々珍しい)。あと20年位かな……結構長い。

私はズルい。だから若いという事実をできる限り長期間、有効活用していくつもりだ。先日そんな赤裸々な話を、距離感の心地よいママ友の1人に打ち明けた。「もうみんな、綺麗すぎるんだよね。私、みんなと同じステージに立ててないから、嫉妬せずにいられてるよ」と。

そうすると、その年上のママ友はにっこり微笑んで「私も、ここが地元じゃないから、同じテンションで楽しくおしゃべりしたりとかはずっとできないんだなって感じることあるよ」と言った。

強みと弱みの両方から生まれた母性を、私は感じ取っていたのかも

私はその時、思ったのだ。どのママにも何かしらコンプレックスがあって、それがママ達の笑顔の裏で時折鈍く光っていた物の正体なのではないかと。「自分が選んできたという自負」は常に、「自分は何かを選ばなかったという後悔」も孕んでいる。その強みと弱みの両方から生まれた母性を、私は彼女達から感じ取っていたのではないだろうか。もはやそれは、年の近い母を見るかのように。

だとしたら、私は他のママからはどう見えているのだろうか。人生において何も選ばず今に至る、経験の浅いこの私を。もしかして……娘?

その可能性はなきにしもあらず。これまでは同世代の友人に対してお節介な母親キャラになりがちだった私が、今はママ友から娘キャラとして扱われている。腑に落ちる話だ。だから可愛がってもらえているのかもしれない。私はやはり大人になりきれていない。そう考えると、やはりママ友達と同じステージは歩めない訳だ。別階級である。20年先まで、ずっと。

それでも私は、「自分で選んできた」という自負を、やっとこれから家族と積み重ねていく。そしてママ業界では万年最年少の私も、同級生の中では万年最年長ママなのである。

私は来年度、小学生ママとなる。これから更に多くの出会いがあるだろう。様々な人の目が形作る私のママとしての姿も、自分や家族だけが知っているリアルなママとしての姿も、全て含めて美しいものとして、自分を認められる日が、やってくるといいなと思う。