なぜ、あんなにも結婚に焦っていたのだろうか…。2018年の今頃は胃がぎりぎりと音を立てるくらい、結婚の2文字を穴が開くほど見つめていた。

「結婚しないの?」周りの言葉に結婚しておかなければと意識改革

思えば2017年の一年は、どこにいっても誰と会っても自然とそんな質問をされていた。
半同棲して3年、5歳年上の彼氏であれば、20代前半の私は結婚することが当たり前のように周りには思われていたのだと思う。1人1人が特に深い意味もなく口にしていた「結婚しないの?」という言葉に、気づけば自分が支配されていたのだと今ならばわかる。

元々結婚願望もなく、30代以降に好きな人と暮らしていれば結婚しようくらいのテンションだった私だ。親も晩婚だったため、特に急かされるようなこともなかった。ただ、友人たちの言葉に踊らされ、あっという間に「結婚したい!結婚しておかなくては!」と意識が改革されていった。

彼氏に連日迫ってついに結婚したけれど、生活は何も変わらない

当時の彼氏もゆくゆくの結婚は考えてくれていたようだったが、私の鬼気迫る連日の「いつ結婚する?」というハラスメントに負け、その年の私の誕生日にはプロポーズをしてくれた。

当日は天にも昇るような気持ちだったのにも関わらず、彼氏は全く計画せずに私へプロポーズしていた。

その為、先の計画もなく、ただ1年が過ぎ、無理やり名前のない平日の理由を検索して5/29(幸福の日)に私たちは入籍した。

生活は何も変わらなかった。周囲にも会うたび聞かれていたが、全くと言って何も変わらなかった。ただただこれまで3年続けてきたことが、1度紙を提出したことにより、よく考えたらそんなにすぐに変わるはずがない。

私は完全に脳内のイメージに、周囲のイメージにやられてしまっていた。
「キラキラした新婚生活」「新しい名前」「プロポーズ」「一生に一度の結婚式」
CMや周りの反応、子どもの頃からのイメージが刷り込まれていたことに、改めて驚愕した。彼氏から夫になった人とは、紙が受理された後も生活として進んでいくということを。

家事ができない時に感じる罪悪感。結婚への固定概念に縛られていた

2021年を迎えて思うことは、プロポーズも結婚式も勿論あの1日は輝いていたが、もう少し家族ではない時間を楽しんでも良かったかもしれないということだった。

結婚した途端に夜の飲み会に誘われなくなったり、家事を出来なかった、うまくいかなかった日に罪悪感を持ったり、今までになかったことにひどく敏感になった。

別に夫はそのままであり続けたのに、私だけはイメージとこれまでの知識にどんどん
がんじがらめになっていった。

2020年、自粛期間によく話合い、私達夫婦は共働きであるのだから、これまでもこれからも出来る方が率先してやっていくという話になった。

私達の世代はこうして他人と結婚、ないしは生活して初めて、自分の中に刷り込まれている洗脳に気づくのかもしれない。

私達の母親がそうであったように、あの時と同じ専業主婦で完璧な家事はなく、共働きで助けあいがスタンダートになりつつある世の中で、少しでも女性が小さな罪悪感と戦わなくて良い日常になればいいな…と私は深夜の風呂場で想像する。