女性の社会進出が注目されて久しい。今や共働き世帯は全体の半数以上を占めるとも言われている。そんな世の中だというのに、私は結婚したら仕事を辞めて主婦になりたいと思っている。

今、私は社会人として会社で働いている。そして大学時代に知り合った彼氏と今も付き合っている。彼氏は彼氏で社会人になって働いていて、このままいけば結婚するのだと思う。結婚後のことを考えた時、私はどうしても自分がバリバリ仕事しながら家事をこなしている姿を想像できない。
仕事が心底嫌いというわけじゃない。でも、両立できるほど器用じゃないと思うのだ。

子ども時代に思い出すのは、母がいない強烈なさみしさ

小さい頃、母は私が幼稚園に入った頃に職場復帰して、日中は家を留守にしていた。
祖父母と同居しているから面倒は二人に見てもらえた。でも、とてつもなくさみしかった。
職場復帰と同時に母は携帯電話を持ち始めた。私はさみしくて、学校から帰ってくるとすぐ電話してしまった。もちろん仕事中は電話に出れないから、留守電につながる。毎回わかっているのに電話をかけてしまう。1週間とたたずに母の携帯の電話番号を覚えてしまい、つながらないのに毎日かけていた。

もちろん、ほったらかしにされていたわけではない。キャンプに行ったり、遊園地に行ったり、家族の思い出なんていくらでもある。
色々なことがあったはずの子ども時代なのに、思い返すと、あの強烈なさみしさと、つながらないのにかけ続けた不毛な電話のことが一番に思い出される。
共働きの家庭なんてどこも似たようなもんだろうと思う。
それでも、母がいないさみしさが、何年もあとになっても思い返されて、私は自分が家庭を作る時、そんなさみしさが再び繰り返されるのはどうしても避けたいと思ってしまう。

自分はいつの間にかコースアウトしようとしているように感じる

そんな子ども時代をすっ飛ばして、高校は地元の進学校に進んだ。志望校を決める時期になって、京大に入った先輩から「京大には面白い人ばっかりいるよ」と奇想天外な話をたくさん聞いた。それでどうしても京大に行きたくなって、1年浪人して無事合格を果たした。苦労して入った後の学生生活は、本当に貴重な体験ばかりだった。けれど、将来の夢はずっと見つからなくて、就活中もこれといってやりたい仕事は思いつかず苦労した。今の会社が目をかけてくれて、ありがたいことに今の今まで働かせてくれている。なのに私は働き続ける意思がなく、家庭に入ることを望んでしまっている。

大学の友達はみな、男も女も関係なく、どこかしらの会社でいい稼ぎをしていて、これから先も長く働くキャリアを歩もうとしている。そのために今まで勉強して努力し続けたんだろうなと、他人事にそれを見ている自分に気づいてしまった。自分はいつの間にかコースアウトしようとしているように感じる。

時間をうまく使ってどちらも両立できる女性もたくさんいるだろう。でも私は優先順位を考えたら先に家庭がくる。外で働いて認められることよりも、家庭で美味しいご飯をつくることの方がよっぽどやりたい。こんな考え方を飲み屋で話すと「もったいないな」「案外保守的なんだね」「彼氏さん次第じゃない」と色々な言葉をもらう。異論はない。でも私自身が一番コンプレックスに思っているのだ。

誰に非難されるわけでもなく、自分が自分に戸惑っている

同世代の女性が頑張っている話を聞いた時、大学まで入れてくれた親のことを思うと胸が痛くなる。「あなたの娘はせっかく教育費を投資したのに、それに見合う稼ぎをする気がないようです」と申し訳なさがこみ上げる。
結局、誰に非難されるわけでもなく、自分が自分に戸惑っているのだ。そこに考えの甘さが見え隠れしてるのを、自分で気づいてしまっているから。
そして誰に向けてということもなく、主婦になりたいと思うことは甘えなんだろうか、と悶々と考えている。