こんにちは2021年。10日たってもまだ言い慣れない。
今年の目標!と言うと大げさに掲げる自分がどこかにいて恥ずかしい。さらに達成できないときに落ち込んでしまうので、今年は「考えすぎず、誠実に」をお守りのように呟いて過ごせれば十分だと思う。
心の広い、尊敬できる大好きな彼がいた。何も不満はなかったのに
ひとまず2020年、お疲れ様、自分。例年とは違う、色々なことがあった。
仕事形態は変わり、戸惑った。気軽に実家に帰れなくなった。毎年参戦するライブも中止になり、大好きなテーマパークは気軽に行けなくなった。
だけど大切な人との繋がりを再認識でき、直接会えないなりの楽しさも知った。
忙しすぎた毎日が緩やかになり、自分のことを考える余裕が持てた。
そのおかげで過去の自分の失敗も、認めて肯定できるようになった。
色々な思いがあったけど、何より健康状態のままで1年を乗り切れたこと、2020年はそれだけで十分ありがたいことだったと思う
そして私が去年一番褒めたい事、それは「2年半同棲していた彼に別れを言った」ことだと思う。いや、絶対にそうだ。本当によく言った。
とは言っても理由は本当に身勝手で、私が「他に気になる人ができた」からだ。
ふざけるなと誰もが思うだろう。わかっている。わかっている。
同棲していた彼には、何も不満はなかった。私のすべてを肯定し、信用してくれる。仕事にも真面目で、遅い時間でも愚痴を言わず笑顔で帰宅。私の我儘(今となっては傲慢なのか、もうわからない)にも笑顔で答えてくれる、心の広い彼だった。そしてそんな彼が大好きだった。いつも頭が上がらず、尊敬していた。
大好きな彼の笑顔。いつからか正面から見れなくなってしまった
そんな彼と過ごす最中、他の人に揺らいだ。
恐らく私は不誠実な人間だ。自分が一番かわいく、忖度を考えて行動している。誰にでもある(と自己擁護したい)いわばズルい部分。私はそこが長けている。長けすぎている。
そんな私だから「どうしたら両方と関係を続けるか」ばかりを考えていた。
そのため、彼に言えないことも一つくらいあってもいいだろう。ひとまずどちらがいいか天秤にかけてみよう等、本当にクズ人間の考えを持つ時期があった。
だけど、どうやら私にも誠実な部分があったらしい。ズルい気持ちを抱く中にも、気持ちの振れ幅が大きかった。本当にこれでいいのか?と悩んだ。彼が私だけにくれた笑顔を、優しさを、以前と同じ気持ちで受け取れないのなら、少しでも後ろめたい気持ちがあるのなら、それはアウトだと、シンプルな考えに着地した。
そして私は彼に「他に好きな人ができた」と伝えようとした。もちろん、気になる男性とは付き合える保証はない。このまま彼と一緒にいれば独りにはならない。彼に打ち明けたら2度と一緒にはいられない。楽しかった2年半も、2人のこれからも、すべて終わる。それでも口に出した。そして、終わってしまった。自分で壊したのだ。あんなに仲良しな2人の最後は、とてもアッサリしていた。それは最後まで彼が優しかったからだ。
大切だった彼に誠実に向き合った。そのことに少しの達成感がある
新年を迎えた。同棲はもちろん解消し、彼は出て行った。契約の都合上、私は変わらず住むことにした。幸せだった部屋は変わり果てたように殺風景になったが、彼の面影は色濃く残っている。
色々なことを考える。彼への懺悔、自分自身への絶望、将来への恐れ、そして気になってしまった男性への気持ち。複雑な気持ちが涙に表れてくることは多く、こんなに身勝手で、自分は生きている価値があるのかとさえ思う。
だけど、大切だった彼に誠実に向き合った。そのことに少しの達成感がある。不誠実だと思っていた自分は、彼のおかげで、少しは誠実さが作られていたようだ。
2021年、何度も涙を流したり、言い訳をしたり、先を考えて怖くなるだろう。身から出た錆、自業自得だ。だけど、目の前の人に誠実に向き合うこと、これを意識すれば、きっと明るい道に進めると信じている。彼が教えてくれた、大切なことだ。そして考えすぎないこと。先のことは誰にもわからない。彼への懺悔の気持ちは一生抱くだろう。将来の不安は、一生消えないだろう。わかりきったことは、きっと考えすぎないほうがいい。そして目の前の人には誠実に向き合う。私が行ったことは最低だ。だけど、最後には大切な彼に誠実に向き合うことができた。そう、こんな私でも少しはできたのだ。だからきっと大丈夫。「考えすぎず、誠実に」をお守りにして、呟いて、呟いて、呟いて過ごしていく。それだけでいい。少しずつでいい、頑張らなくていいから、自分が作ったお守りを大切に過ごしていこう。
2021年、よろしくお願いします。