昔から「自分と違うもの」への関心が強いほうであった。小さい頃は均一的なコミュニティが「良」とされる田舎で育ったのだが、そんな私の人生を変えたのは、中学生の頃のアメリカ人のホームステイの受け入れであった。

その子はとても努力家で、いつも笑顔で、人間的にとても尊敬していた。その子が持ってきてくれたアメリカからのお土産がとてもカラフルで、日本のものとはスタイルが全く異なり、私は心を一瞬で奪われた。
こんなカラフルなものを売っている国があるのか。どんな国なんだろう。自分が見てきたものと違うものって面白いな。もっと自分が経験してきたことのないようなものや人と出会ってみたいな。私の好奇心は、どんどん膨らんでいった。自分と違うものに触れたくて、大学は国際系の学部に進学した。

スペイン料理を食べ、留学生との飲み会では参加者がゲイの彼氏を連れてきた

大学では、英語の他にスペイン語を専攻した。スペイン語を勉強すると、教科書にスペイン料理がいっぱい出てきて、なんだかとても美味しそうだった。私が住んでいた田舎にはスペイン料理のレストランなんて洒落たものはなかったので、スペイン料理が何かさえ知らなかったのだ。
同じ授業を取っている子と初めてスペイン料理のレストランに行って料理を食べた時、あまりのおいしさに悶絶した。パエリヤ、アヒージョといった定番のものに加え、トルティージャ(スペイン風オムレツ)、フィデオア(パエリヤの米をパスタで代用したもの)、クレマ・カタラーナ(プリンのようなもの)など……。何から何まで大好物になった。今では自分で作れるようになり、自分の食の幅と人生の楽しみが増えたようで嬉しかった。

また、私の大学に留学してきている留学生と日本人何人かで、飲み会を開いたことがあった。みんな時間にルーズなので時間通りには集まらない。驚いたのは、あるゲイの外国人男性が、彼氏だと言って日本人の男性をさも当然のように連れてきたことだ。聞くと、ゲイ専用のマッチングアプリで知り合ったらしい。もちろん歓迎して一緒に飲んで楽しい時間を過ごしたのだが、日本での飲み会で、「参加男性がマッチングアプリで知り合ったゲイの彼氏を連れてくる」ことはそこまで頻繁に起こることではない。何でもアリなのだ。でも何でもアリの方がみんな受け入れられているようでいいし、何よりこっちのほうが楽しい。

人生の幅が広がった気がした。

ホットドッグの早食い対決に、女性も複数参加していた

念願のアメリカ留学を果たした私は、学期の始めにホットドッグ早食い対決が行われることを知った。観衆として少しのぞいてみると、ホットドッグを水につけて、柔らかくしてから食べるというのが定石らしく、みんな水につけて食べていた。正直食べ方はかなり汚い。そしてその場に、驚くことに、女性も複数参加していたのだ。

水につけるというとても汚い食べ方で早食いを行っている。しかも観衆はそれに何の疑問も抱いていない。私の頭の中で「性別とは?」「女性らしさとは?」という疑問が渦巻いた。でも、くだらない女性らしさに縛られるよりも、やりたいことを思いっきりやる女性の方がかっこいい。私も女性のステレオタイプに縛られず、したいことを思いっきりする人生を歩もう。

生き方の幅が、広がった気がした。

自分とは違うものに触れて、自分の人生の幅を広げるのが楽しい

エピソードなんて他にも山ほどあるのだが、私は「自分とは違うものに触れて、自分の人生の幅を広げる」ことをとても楽しいと感じる。とりわけ日本は「普通」が良いとされているが、そんなものは面白味がないと思っている。引き出しを増やし、多様な選択肢の中から、自分の人生を主体的に選んでいく。その引き出しを増やすために、自分と違うものや、今まで知らなかったものに触れる機会を増やしていく。その工程がとても楽しいと感じる。それが私の感性である。