いつもそうだ。計画して料理をすることにあまりワクワクしない。ハンバーグをつくるための材料を買いに行こう、とかがすごくニガテだ。私をときめかせるのは、冷蔵庫にある限られた食材でオリジナル料理を作ったり、自分なりに調味料を組み合わせて新しい味を発見したりすること。誰かが書いた筋書き通りに動くことがニガテみたいだ。

冷蔵庫の中はタッパーの行列。ジャンルを問わないのが、私たちらしい

休日のお昼前。冷蔵庫を開けると、母や私が前日までに作り、その時食べきれなかった分の料理たちがタッパーに入れられ並んでいた。大家族だった母の影響か、私も母もつい量を多めに料理する。だから必ず、一定の期間が過ぎると冷蔵庫の中はタッパーの行列になる。麻婆豆腐、里芋とこんにゃくの煮物、朝焼いたソーセージ。ジャンルは問わない。でも、ジャンルを問わないところがなんだか私たちらしい。

その日まず目に留まったのは、昨日、私がお弁当用に炊きすぎた白米と、これまたお弁当用に作ったほうれん草の胡麻和え。昨日の夕飯に食べた母の得意料理、鶏肉のトマトソース煮込み。常備してある卵、とろけるチーズ。……リゾットを作ろうと思った。

母も私も、作る量はその日冷蔵庫にある食材を見て決める。調味料は目分量。意外と几帳面な父は、私や母のテキトウさを指摘することがあるけれど、私たちはいつもその場その場のテキトウさを楽しみながら料理している。テキトウに料理していれば、いずれ適当な料理が出来上がる。何ができるのだろうか?過程を楽しみながら料理する。

「アイディアとは既にある要素の組み合わせ」。先輩の言葉を思い出す

料理する時に考えていることは、これから一緒にご飯を食べるのは誰?ひとりでワインを楽しもうか。ちょっと朝寝坊したからブランチにする?一日の終わりだからお腹にやさしいものを作ろう。スパイスが効いたスープを口にして目を覚まそうかな。興奮した心を鎮めるために、キーンとからだを冷やしたい。その時々で、その時々を楽しむ人、時間、食材を考えて味わう。

料理をしている時は無心になる。リゾットを作り終わったとき、ふと最近まで働いていた会社の先輩から「アイディアとは既にある要素の組み合わせ」だと教わったことを思い出した。新入社員の時だ。今日は月曜日。今は休日だけど、前の職場であれば今頃私は働いている時間だ。今目の前にあるリゾットと、少し前の私が重なった。

いらないものなんてない。それぞれの料理とエピソードを思い出して

社会人になると、卒業のタイミングを自分で選ぶこともある。いやでもそれは綺麗事なんじゃないかって。そう思う自分もいる。その日いらなくなった食べ物みたいに、本当はわたしもいらなくなったかな、とか。でも……私もこのリゾットと一緒だと思いたい。
めぐりあわせと組み合わせで私もできている。リゾットと一緒だ。私の人生も筋書き通りではないけれど、そこがおもしろい。

炊きたての白いご飯を混ぜながら迎えた気持ちの良い朝。新しい職場で、仕事の合間に食べたお弁当にホッとした。夜帰ってくると、母が私の大好物を作ってくれていた。レンジで温めた鶏肉のトマトソース煮込みを口にした。それを作った母の気持ちがとても温かいと思った。

食べながら、リゾットに含まれたひとつひとつの料理と対話する。煮込んだ鶏肉がダシになってるとか、ほうれん草の食感がアクセントになってるとか。やっぱりいらないものなんてないんだと思った。ひとつひとつの料理とエピソードを思い出しながら。今まで食べてきたものを生かし、生かされながら。

さて、その日食べたリゾットは、どんな味がしたのでしょうか?