「歌詞にあるような温かい結婚なんて存在しない」そう小さい頃から考えていた私に、そのような結婚生活を考えられる相手ができた。まだハタチなのに!
両親の結婚生活なんて、世間体のためだけで愛がなくても成立していた
私の両親は、私の記憶の限りしょっちゅう喧嘩していて、お互い結婚生活にうんざりしていた。1ミリも愛し合ってないのがしっかり伝わってきて、愛し合ってないどころか大切にさえしていなかった。
「なんでこの二人は結婚したのだろう」「ああ私という子供ができちゃったからね」と考えるのがすごく嫌だった。まるで私がいるから、しょうがなく夫婦をやっているというような。
父から離婚話が持ち出されているのも何度か目の当たりにしたが、母はただひたすら謝って「離婚だけはやめて」と頼み込んでいた。「なんであんな父といるの、別れてよ」と私はその度に母に言っていたが「離婚したらあなたの授業料払えなくなるでしょ、我慢しなさい」と言われて、私にとって大切な居場所であった学校がなくなると思うと、何も言い返せなかった。本当に悔しかった。
結婚生活なんて、愛がなくても成り立っちゃうもので、世間体のためにできちゃうもので、平穏で愛の伴ったお互いを慈しみ合うような関係の結婚生活なんて、ほとんど奇跡に近いのだろうと、最初に見た家庭に全く愛のなかった私には思えていた。
愛のない家庭で育った私が考える「結婚生活を維持しうる理論」
でも、幼い頃の私は、それで結婚に対する希望を失ったわけではない。むしろ私は「こんな残念な家庭を見せつけた両親を反面教師として、絶対に幸せな家庭を作るのだ」「そのためにはどうすればいいのだろうか」と、結婚生活を維持しうる理論を考え抜いた。
1:好きな人と結婚する。
2:好きでもない人と妊娠する行為はしない。
3:喧嘩をしても嫌な面を知っても、その人を最初に好きになった気持ちを思い出してその度にその人に恋すること。
4:だから変わりうる外見とかだけで、その人に恋はしない。
5:「好きな人の好きな人は好き」という理論によって、その人の家族もまた大切にすること。特にその人のお母さんは、私が恋した人を産んでくれた人なのだから、最上級に大切にする。
6:5によって嫁姑関係も絶対に良好になる。大切にされて大切にしかえさない人なんていないだろうから。
7:どんなに長い年月が経って恋する気持ちが薄れてしまったとしても、その人を大切にする気持ちだけは忘れない。
1、2、5、6は親が失敗したところだ。3と4は、世間でよくいわれている“愛は続かない問題”から解決方法を考えた。7は祖母を見て思ったことだ。認知症の年老いた祖父のことを献身的に祖母は支えていた。
私がこの理論を守ってさえいれば、相手が私のことを愛してくれなくなっても、結婚生活が両親ほど破綻するということはないはずだ。この理論をしっかり守って、子供に「私がかつてしたような嫌な思いはさせないぞ」と心に誓っていた。
困難なもの…そして、絶対に失敗したくない「結婚」への考え方の変化
こんな具合に、結婚というものを困難で壮大なものに、でもどうしても失敗したくないものに仕立て上げていた私だったが、20歳になってとても素敵な恋人ができた。
もともと仲の良い友達で「この人となら結婚してもうまくいくのだろうなぁ」と考えていた相手だった。そのうちに彼に本当に恋してしまい、その彼もまた私のことを好きになってくれた。まだ若いけれど、結婚の話も出る。
「幸せな結婚なんて奇跡に近い」と考えていた私に、彼は「そんなに幸せって難しいものじゃないと思うよ、案外近くにあるものだと思うよ」と言った。
多分、私は正解の人に出会ったのだろうと思う。自分の結婚について失敗するまいと気を張り続けていた私だったが、今はもう違う。結婚というものに対する希望が生まれて初めて、ちゃんと私の中に存在した。今の私の心は、私史上最も温かい!