「手が綺麗だね」

見た目に自信がなかった中学生の頃、隣の席だった好きな人が、机に置かれていた私の手を見てぼそっとかけてくれた言葉は今も私の宝物になっている。
実際、私の指先はかなり荒れていて見られるのが恥ずかしいようなものだったけど、たぶん、その人は綺麗な手の甲だけを見て言ってくれたのだと思う。
「そんなことないよ」なんて言ってさっと手を隠してしまったけれど、すごく嬉しかったし、こんな私にも美しいと褒められるような部分があったのか、と感じたことは鮮明に覚えている。その言葉を心の支えに、今でも手のケアには抜かりが無い。

中学生のときだって、今の自分なら魅力的だと思ってあげられるような部分があったのだとは思うが、その頃は常に悪いところに目がいっていた。自分のすべてを交換したいと思うようなこともあった。
でも、この「手が綺麗」という一言をはじめとして、「目の色が好き」、「そばかすが良い」、「髪がまっすぐで素敵」といった言葉の数々が積もり積もっていくにしたがって、自分の見た目を愛していけるようになった。

個々のパーツまで見て褒められた方が嬉しいのかもしれない

もしかしたら、全体的な雰囲気や見た目を褒めてもらうよりも、このように個々のパーツまで見てもらって声をかけてもらった方が嬉しいのかもしれない。自分全体としては有機的で大きな存在であるはずなのに、ひとつひとつの部分はそれだけ見れば、自分自身から切り離された非常に無機的な存在であり、いわば宝石のような輝きを持っているのだろうか。

人から褒められた部分しか受け入れられないなんて、他者依存もいいところだが、そうはいってもやはり、自分と向き合っていく上での大切な要素になってきた。
服を選ぶにしろメイクをするにしろ、気に入らないところを隠すというよりは、好きなところを強調するスタイルを選べるようになっていった。
次にその人と会ったとき、またその部分を褒めてもらえたら嬉しいし、自分自身も堂々としたような気持になれる。このように自信が持てる部分を増やしていくことが大切だと気がついた。

今まで褒められたパーツ全てつなぎ合わせた結果が私そのものになるまで

今の私は見た目に全くコンプレックスが無いといえば嘘になるけれど、少なくとも以前よりは自分の見た目に自信が持てるようになった。
今は相手の言葉に頼ってしまう部分も大きいけれど、いつか、自分で自分の良いところを見つけて愛していけるようになりたい。
今まで褒められたことのあるパーツや自分でも愛せるようになった部分を全てつなぎ合わせた結果が、私そのものになるまで。