「お前、ケツでっけぇな」
これは以前働いていた会社の上司に突然投げつけられた呪いである。
この呪いをかけられた瞬間、わたしはコンプレックスというものと付き合うはめになってしまった。

それまでのコンプレックスは、自覚して勝手に思い込んだものだった

もちろん今までの人生でコンプレックスを感じることはあった。
ただそれは自分が自覚したうえで勝手に思い込んでいるものだったので、そこまで思い悩んだり傷つくことはなかった。せいぜい、友達に比べてスネ毛が濃いだのニキビがひどいなど、そんな程度だった。幸いわたしの周りには心の中で思ったとしてもそれを口に出してくる友人はいなかったし、筋金入りの箱入り娘、甘えに甘やかされて育てられてきたので両親から容姿について悪く言われたことも一度もなかった。
だから25年間のうのうと生きてこれたのだが、ここにきて突然不躾な上司によって呪いをかけられてしまい、その呪いを解くのにかなり時間を要してしまった。
今でも完全に解けた訳ではない。

わたしの頭の中でなにかが弾け、その後のことはよく覚えていない

当時わたしは映画会社で働いていた。
自分の担当する映画館がリニューアルすることになり、その準備に毎日追われていた。いよいよ明日は内覧会というのにまったく準備が終わらず、映画館に泊まりこみ、現場のスタッフと共に夜通し作業をしていた。心身共にズタボロの状態で朝を迎え、眠い目を擦りながら来賓の対応をしていた時、突然わたしの後ろ姿をみた上司に呪いをかけられたのだった。
上司と私の2人だけの空間ならよかったが、周りに人もいた。数か月対応に追われ、最後の最後に夜通し働いて、その仕打ちがこれか。
上司は、笑っていた。ちょっとからかったつもりだったのだろう。ただでさえ寝ておらずメンタルが相当参っていたので、尚更ダメージをくらってしまった。
呪いをかけられたとき、わたしの頭の中でなにかが弾け、その後のことはよく覚えていない。一連の流れを目撃していた別の上司に「俺はケツのでかい女がタイプだから」と謎のフォローを受けたことだけはぼんやり覚えている。

あの日から、ラインの出るボトムが履けなくなってしまった

この経験をしてから、わたしは他者に対してどんなに些細なことでも容姿をからかうようなことは絶対にするまい、もし友達が自らの容姿について悩んでいるのなら、全力でそのコンプレックスを褒めちぎろうと決めている。

あの日からわたしは自分の後ろ姿が気になって仕方なくなり、ラインの出るボトムが履けなくなってしまった。
呪いをかけてきた上司にはせめてもの復讐として、以前うっかり生理の血をつけてしまった私のオフィスチェアと上司のオフィスチェアをこっそり交換することにした。
映画館のリニューアルという大役のスケジュール進行は残念ながらままならなかったが、「潔癖症の上司に最大限の報いを。」というスローガンを掲げ、復讐を心に決めたわたしの用意周到ぶりは凄まじく、誰にも目撃されないようあらかじめ部署内全員の予定を把握し、決行当日は始業時刻の2時間前に出社をして完全犯罪を成し遂げたのだった。
このエッセイが当時の職場関係者の目に留まらないことを心から願う。