「強い」と言われてきたハーフの私。「弱くて臆病ね」と言って去った彼。本当の自分を愛したい

新年早々彼氏に振られた。
些細なケンカがどんどん膨れて、別れ話にまで発展した。
普段は優しい言葉ばかり投げかけてくれる彼が、いきなり牙を剥いた。
彼の優しさに飼い慣らされていた私のハートはとても繊細になっていた。
同時にとても横暴になっていた。
彼は私の元を去った。
小さい頃から気が強かった。
よく男子を泣かせて先生に怒られた。
ボス猿というあだ名を男子につけられて、
ムカつくふりをしてたけど、内心誇らしかった。
怖いものは何もなかった。
小学3年生の時、両親が離婚した。
大好きだった父親が出て行った。
なんでもワガママを聞いてくれる父親だった。
よくプリンセスと家来ごっこをして遊んだ。
子供相手に本気で何時間も遊んでくれた。
欲しいものはほとんど買ってくれた。
どこに行っても私がいかに可愛くて、賢くて、特別な存在であるか自慢していた。
無条件で愛されてると思っていた。
ブロンドで碧い目をした父親と日本離れした顔の娘は、片田舎の街で常に羨望と偏見の目を向けられた。
持ち上げられてはこき落とされて。
でも、いつも父が守ってくれたように感じた。
自分よりもより異質な存在が身近にいる事に安心していただけかもしれない。
保育園の友達と一緒になって父をガイジンとからかった。
本当は全部理解していた英語も分からないふりをした。
父親が称賛してくれた緑の瞳と栗毛を黒く塗りつぶした。
保育園のお迎えに父親が来ることを拒否した。
お迎えに来ると教室からみんな出てきて、他の子のことを肩車したり、先生までもを笑顔にするピエロのような父親が本当は自慢だった。
肩車される友達にまで嫉妬した。
そんな私の家来でもあり、恥でもあり、自慢でもあった父親がいとも容易く家を出て行った。
あっけなかった。
何年も母に反対されていたチワワをこっそりを買ってくれた次の日だった。
強くて勇敢だと思っていた父親は弱くて繊細な人だった。
弱くて繊細だと思っていた母親は強くて冷血だった。
よく男子を泣かせて私を怒りつけた先生は急に優しくなって、私の問題行動を家庭のせいにした。
私のいじめっ子体質は生まれつきなのに。
母親は私の父親と似ている部分を探しては、ダメ人間に育ちませんようにと嫌味っぽく言った。
そのだらしなさと頼りなさを見て優越感に浸っていたのは母なのに。
大好きな祖母に、本当に子を愛していたら何があってもそばを離れないと言われた。
何も言い返せなかった。
自分には愛される資格がないんだと大いに感傷に浸った。
自分だけが異質に感じて、周りがみんな敵にみえた。
父親がいなくなった寝室で、寂しいと素直に甘えられる弟が心の底から羨ましかった。
弟は素直で繊細な子だった。
私はただただ強がった。
弟が母親に抱かれて泣いている隣のベットで、父親の残り香を嗅ぎながら静かに泣いた。
母に気付かれるのか怖くて仕方なかった。
有り余ったイライラを弟にぶつけていじめた。
私は弱くて冷血な子だった。
そんな弱さに気がつかれないように、私は肩肘張って必死に強がって生きてきた。
周りの人には自立していて立派だと賞賛された。
私の弱さに気がついたのは彼だけだった。
彼の優しさで私の弱さを包み込んでくれた。
私はとても心地が良かった。
車で寝てしまって、気がついたら父に背負われていた時に感じていた安心感を思い出した。
その安心感を受け入れることは自分の弱さを肯定するようで怖かった。
彼を支配しようとすることで自分の強さを示したかった。
弱くて臆病ね、とバカにした彼は、強くて優しい人だった。
ありがとう、お父さん
あなたのように繊細な人になりたいです。
ありがとう、お母さん
あなたのように強い人になりたいです。
ありがとう、愛した人
あなたのように優しい人になりたいです。
大丈夫、立ち直れるよ。
今までどんなことがあっても
負けずに立ち直ってきたから。
今年は弱くて臆病な自分を思い切り愛してあげる1年にするの。
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