「生きる力をつけなさい。」
高校3年間、私を担任した先生に耳にタコができるほど言われた言葉だ。

「生きる力をつけなさい。」鬼のような熱血指導の担任からいつも言われていた

特別進学クラスだった私のクラスは、とくに勉強に力を入れており、模試の嵐。年末年始もみんなで登校して勉強するほどで、成績のことで毎日のように怒られた。クラスにはいつも怒号が響いていた。

私は鬼で、あまり心の通じない先生のことが好きではなかったが、見事な熱血指導のかいあってか第一志望の大学に合格し、進学を決めた。

はれて迎えた卒業式の時、先生は私の名前を呼ぶ前に小さく息を吸った。

「○○○ △△△」

私は返事をしなかった。なぜなら、「○○○」は私の苗字ではなかったから。
厳密にいうと、途中までは私の苗字だったのだが、後半に次に呼ばれる生徒の苗字が混ざってしまっていたのだ。

緊張していたためか、はたまた私とその隣の生徒との思い出に浸っていたのかはわからない。

2秒ほどの沈黙が過ぎると、先生は落ち着いた声で「失礼いたしました。」と言い、今度は正しく私の名前を呼んだ。
3年間も担任をしていて、ここぞという場面で間違えるという、ドラマにもありそうでないシチュエーション。普段まったく隙を見せない先生のミスが、最後の最後に見れるとは……感動するはずの卒業式ながらみんなで笑いを堪えたのを覚えている。

最後のホームルームで、初めて先生の涙を見た。クラス中で通じ合うように私たちも泣いた

涙なく式を終え、最後のホームルームで先生待っていると、明らかに「やってしまった…」という顔をして教室に入ってきたので、クラスはまた笑いに包まれた。

あっという間に時間は流れ、いよいよホームルームが終わるというときに、先生へクラス全員からの感謝のコメントで埋め尽くした色紙を渡した。

先生は「ありがとう。」と微笑みながらしばらく色紙を眺めていたが、何か言葉を発しようとしたその瞬間、みるみるうちに顔が崩れ、手で目頭を押さえた。

3年間も毎日のように顔を合わせていた私たちが初めて見た、先生の涙だった。

一瞬でクラス中に涙は広がり、言葉を超えて通じ合うように私たちは泣いた。
つらかったけど楽しかった日々、感謝、別れ、様々なものへの感情が入り混じって、ひたすら泣きじゃくった。

先生は最後に、「生きる力をつけなさい。強く生きていきなさい。」と言った。

「強く生きる」大人になった今でも、先生の言葉に力づけられ、私は生かされている

高校を卒業してはやくも9年が経とうとしている。
大人になった今でも、私の座右の銘は「強く生きる」ことだ。

職場の上司から「強そうで弱く、弱そうで芯がある」と言われている私は、まだまだ「強く生き」れていないのかもしれない。
それでも「強く生きよう」と思っているだけで、いつの時代もどんな時も、前を向いて生きていける気がしている。例えば、大切だと思っていた人との縁が切れたとき、新種のウイルスに苦しんでいる世界を目の当たりにしたとき……学生の時は好きになれなかった担任の先生の言葉に今でも力づけられ、生かされていると思うと、感謝せずにはいられない。

先生、ありがとう。
私はこれからも強く生きていく。あわよくば自分以外の誰かに生きる力を与えながら。