26の時に籍を入れた。相手は、私より12年も多く生きてきた男性。

籍を入れる前に半年ほど同棲生活を送ったが、大きな意見の食い違いもなく、喧嘩もなく、ただただ楽しい毎日だった。だからなんの躊躇いもなく、お互いの誕生日のちょうど間をとった日に入籍をした。

「結婚って何がいいの?」の問いに率先して答えられないでいる

「結婚って何がいいの?」という質問は、結婚する前にもした後にも、ランチついでのコミュニケーションとして、または夜のお酒の肴として、時間を埋めるのに一役買う常連の一つであるのか、何度か受けたことはある。

いつもは笑って、他の人が喋りだすのを待って相槌をうったりするが、何度か「相続とか、色々楽だって聞いたよ」なんて、最近聞いたラジオでの解答を口に出したこともある。詳しくは知らない。業務中のBGMとしてたまたま耳に入ってきたのを、なんとなく「たしかにな」と頭の中で勝手に合致してしまったからよく覚えていた。それを、口に出してしまった時もある。

そう。私は“結婚の良さ”について、率先して答えられなかった。

結婚したことを後悔しているとか、そういうわけではない。仕事終わりに、家に好きな人がいることで家路に足を向けるのが楽しみに変わったこの幸福感。どんな話でも、例えば「宇宙って広がっていると思う?」なんて平日のランチ時や、週末の夜のお酒の味をなくすような話題を、いつでも気兼ねなく出来る相手がいることへの昂揚感。

浮かれていると思われるだろうが、他にいいようがない。私はこれが他に代替出来ない、結婚の良さだと思っている。だが、しかしだ。「そんなの結婚しなくても、同棲すれば出来るじゃん」と言われれば、何も言い返せないのであった。

気づかなかったけど、「結婚=安心感」という気持ちが私を包んでいた

…あれは、籍をいれた何日か後だったと思う。“肩の荷が降りた”、そう思ったことがある。自分で驚いた。私は「結婚しなくては」だなんて急いでいたのか。自然な流れだった。そこに“義務”も“強制”も“圧力”も感じなかった。…当たり前だ。

「結婚を絶対しろ」だなんてこわい顔で言う大人は、私の身の回りにいなかった。そんな環境だから、私はたまたま24の時に出会った人と意思疎通し、この人の人生を見ていきたいと思ったから、こういった選択肢をとったに過ぎない。と、今でも思っている。

でも、やはり時々「私は、もう結婚したから大丈夫」という言葉が、気づいたら肩を包んでいることにびっくりする。“もう、大丈夫”…? 大丈夫って何? 何から? それは、認めたくないけど、“安心感”というやつ。

10代の時に一つの憧れであった“結婚”。20代に入って、どこかで憧れは義務に変わっていたように思う。もちろん、“結婚”という選択肢を選ばないからといって、何も間違いではないし、どうのこうの言われる筋合いなど全くない。

結婚…「もう私は結婚相手を探さなくていい」という安心感?

でもどこかで、この社会の中で自己がなあなあのまま生きてきた私は、“結婚はするもの”という意味のわからない、自分で勝手に作り出した圧力にかけられていたんだと思う。

それが、“肩の荷が降りた”だなんて考えを起こしてしまうほどに。周りからの圧がなかった私が思うほどだから、実際は“結婚”・“急げ”だなんて言葉を言葉として受け取ったことのある人はたまったもんじゃないだろう。

「結婚って何がいいの?」

この答えに私は、今はまだ「安心感」としか答えられない。先に記述した“幸福感”も“昂揚感”も、それがいつでも側にあることへの“安心感”でもあるとは思っている。

それと同時に“もう私は結婚相手を探さなくていい”ということへの“安心感”は、少なからずある。結婚の良さなんて、それでいいと思っている。感情は人に語ったところで自分でしか共有できないが、倫理的に言う方が相手も納得してくれるだろうし。