2020年、結婚について考えさせられる機会が多かった。なぜなら、入籍や結婚式の知らせが最も多かった年だったから。結婚適齢期ということもあるかもしれないが、それにしても集中していた。(ステイホームの産物?)
結婚や入籍の知らせが最も多かった日は4月1日で、3組のカップルがSNSで入籍の報告をしていた。おもしろかったのは、その3組の投稿の文中には「エイプリルフールだけどマジです(笑)」みたいなニュアンスの文言が、まるで打ち合わせでもしたかのように必ず入っていた。
結婚式って新郎新婦のためのものじゃだめなのだろうか
結婚といっても、特にに結婚式についてだ。
この状況で実際に結婚式をやることができた夫婦がいた。こうした世の中でも、めでたいことはあるのだと思ったが、式の内容は去年まででは考えられないスタイルになっていた。
受付ではチケット売り場のようにパーテーションがつけられて、ゴム手袋をつけて対応した。芳名帳はペンの使い回しができないため、あらかじめカードに書いて提出。新郎新婦からは、引き出物とは別にマスクとアルコールジェルの入ったミニボトルが配られる。テーブルでも一人ひとりのスペースにパーテーション。zoomで参加している親類も多くいた。
明らかに1年前までは考えられなかった様子の結婚式だ。
この結婚式について、母親にこれこれだと話したら、母親はこんなことを口にした。
「結婚式ってそこまでしてやることなの?こんな時期にやるなんて、まるで自分たちのことしか考えてない」
そんなこと言わなくてもと思った。しかし、言われてみると結婚式って新郎新婦のためのものじゃだめなのだろうか。ここでまた、疑問が湧く。
結婚式は何もかも夫婦2人のプロデュースによるもの
結婚式は、当然新郎新婦のためのイベントだ。そして、主に新婦のためだと思っている。
女性はドレスを着るし、一生に一度(じゃないときもあるが)だし、女の子の憧れだからだ。けど、なんだか変な気がしてきた。
式の中では新郎の好物が入ったコース料理、新婦の好きなケーキを食べた。2人が考えたカクテルなんてものもあった。新郎の好きな音楽が流れる。新婦の好きなキャラクターの置き物。2人の思い出や好きなものに囲まれた空間だ。それらは、何もかも夫婦2人のプロデュースによるものだ。
しかし、祝われるのは夫婦なのだ。
自分の誕生日パーティーを、自分で企画する人ってどう映るのか。みっともない、かわいそう、寂しい人とか思われるんだろうか。
でも、多くの結婚式はこれと全く同じことをしている。自分たちのお祝いを、自分たちでプロデュースするからだ。
それでも結婚式に参加している間は、みっともない、かわいそうなんて感情はこれっぽっちもない。それどころか、参加した人たちは帰り道に「いい結婚式だった」とか口にするのだ。それってなぜなんだろうか。
大事なのは、結婚式が誰のためのものかということ
それはきっと、結婚式とは新郎新婦のためだけのものでないからだと思う。家族や親族、古くからの友人や同僚。あくまで主役は夫婦となる2人なのだけど、式に参加する全ての人のことを考え、思いやり、プロデュースするからこそ「いい結婚式」と思えるんじゃないかと思う。(1番は新郎新婦と自分自身の人間関係によると思うが。)
それにつけて、コロナウイルスはやっかいだ。開催すること自体を、思いやりが欠けていると捉える人もいるなんて。開催することが非難されては、元も子もない。また、感染症予防を徹底した式のスタイルは、いつまで続くのか。この病は、結婚式の意義や価値にまで影響を与えそうだ。
しかし、大事なことは結婚式が誰のためのものかを改めて考え、それを忘れないことだ。新郎新婦の祝福のため、そして、新郎新婦はお世話になった人のため、そうした相互の思いやりを欠いてはいけない。
あいにく結婚の予定はまだまだ遠い話なのだけど、わたしもいつかそんな結婚式を挙げてみたいと思えた。