「俺、結婚とか考えたことないな」
聞いてもいないのに唐突に宣告されたのは、付き合って4年に差し掛かる頃だった。金曜の夜、ふたりでひとしきりつついた後の鍋つゆは、くつくつと煮立っていて、並んで観ていたドラマでは、感動的なプロポーズのシーンが気まずく流れたままだ。
はぁ、と素晴らしくまぬけな返事をして、私はチャンネルをそそくさと変えた。それらしいイルミネーションの中、涙ぐむ女優から、今夜のニュース番組へと切り替える。馬鹿みたいだ。振り向くのが怖くて、私は真面目くさったキャスターとじっと見つめ合っていた。
結婚する為に付き合った訳じゃない。
でも、そうじゃなければこの4年の結末ってなんだろう。
どうして結婚したかったんだっけ?
同期のユリちゃんが結婚。幸せいっぱいの姿に心底羨ましいと思った
新卒で地元の中小企業に入社して、やっと仕事にも慣れた。決して広いわけじゃないけれど、会社から近いアパートのワンルームの部屋も気に入っている。毎日帰るとほっとできる、自分の城がある。その上で、週に一度の週末に、ふたりで過ごす部屋は楽しい。一人で暮らす平日があって、好きなものを食べて、時々は新しい服を買って、それなりにやっていると思う。それでも、ずっとひとりは寂しい。そして時々はひとりになりたい。私はいつから、付き合うことの結末に結婚を設定しはじめたのだろう。
年末に同期のユリちゃんが結婚した時、私は心底羨ましいと思った。薬指の指輪をきらきらさせた姿は、幸せいっぱいで、結婚の甘くて美味しい身の部分がぎっしりと詰まっていた。その、幸せの象徴としての結婚だけが切り取られて、ただ羨ましいと思った。背景なんて見えないし、虚像かもしれない。それでも彼女は少なくとも、目下無条件に側にいてくれる人がいる。婚姻という紙切れの上に成り立つ、法的な、保証された幸せがある。私には、彼女が背負うであろう義務も責任もないけれど、確約された相手もいない。
結婚したいと行動に起こすことは人生を担保にした賭けかも知れない
それからユリちゃんは、ひと月かけて引き継ぎをして、無事に寿退社した。彼女の務めた6年間が、既婚者という肩書きに書き換えられたことが、果たしてキャリアアップなのか私には分からない。でもユリちゃんは、今までに見たことのない程頬をほころばせて、最後の挨拶を済ませていった。
一緒にいたい、の結末に結婚があるように見えても、きっとそれはそう見えるだけだ。黙って過ごせば幸せなまま、毎日は何気なく通り過ぎてしまう。その中で、この人と結婚したい、と思うこと、行動に起こすことは人生を担保にした賭けかもしれない。そのお互いの意思の合致は、本当に奇跡みたいな確率だと思う。通り過ぎていった何年もが、この世にはいくつ積み重ねられているのか。
ありきたりで、かつ宝くじみたいな確率の幸せを手にしたユリちゃんに、ピンクゴールドの結婚指輪はよく似合っていた。掴みかねている自分の左手に目をやると、風通しの良さそうな指先は少しささくれていた。
崇高な信念ではなく、幸せの象徴として結婚を追いかけ続けている
家庭像だとか、母親像だとか、崇高な信念を持って結婚に向き合っている訳じゃない。ただ、幸せの象徴としての「結婚」を、私は追いかけ続けているのだと思う。ずっと、ひとりで生きていければ素晴らしいのにと思う。けれど、残念ながら私はそんなに強くなかった。結婚が全てじゃないこの世界で、未だ圧倒的な効力を持つ紙切れに判を押してみたい。左手の薬指に、少し窮屈そうな枷だってはめてみたいし、幸せそうな表情でそれをちらつかせてみたい。
結婚はぼんやりとしていて、月みたいだ。毎日形を変えて、そのくせ弱い光で存在感を放ち続ける。その月に憧れる宇宙飛行士のように、私は結婚が持つ圧倒的な存在感に魅せられ、追いかけ続けるのだろうと思う。