私は泣いていた。とにかく泣きじゃくっていた。顔を見られていたらこの上なくブスだったと思う。電話の相手は付き合って1か月の彼氏だった。
私は基本相談される側の人間で、あまり人に弱いところを見せない。泣き姿なんてもってのほかだ。しかも付き合って1か月の彼氏なんてほぼ他人! 普段ならこんなことは絶対にありえなかった。ただ、珍しく弱りきっていたのだった。
就職への私の決断に、同じく超安定志向の両親は猛反対
大学4年生、就職活動がほぼ終わりを迎え、いくつか内定をもらっていた。その中でも2社で迷っていた。1社は唯一自分がトキメキを覚えた東京の非上場企業、もう1社は地元の優良企業だった。
生まれてこのかた超安定志向の私だったが、大学で過ごした刺激的な日々が私を変えようとしていた。リスクがあるかもしれないが自分のトキメキを信じて非上場企業に進みたかったのだ。
そんな私の決断に、同じく超安定志向の両親は猛反対。毎日のようにかかってくる電話で、母は泣きながら地元の優良企業への就職を懇願し、父は母がショックを受けてふさぎ込んでしまっていると言ってきた。そんな脅しみたいなことで、私の意見を曲げてたまるか! 私の覚悟はそんなもんか! と自分を奮い立たせたが、どうしても両親を見捨てる決断ができずにいた。
「親を理由に選んだ道も、結局は自分で決断した人生じゃない?」
私はそんな自分が、いつまでも変われない口だけの自分が大嫌いだった。結局親の敷いたレールの上でしか生きられない、自分で人生を決めきれないことが本当に情けなかった。
そんな折、付き合って1か月の彼氏(ほぼ他人)から電話がかかってきたのだった。出るつもりはなかったはずなのに、自然と通話ボタンを押していた。それほど誰かにすがりたかったのだ。誰でもいいから話を聞いてほしかったのだ。
一通り話をして彼からでてきた言葉は、「親を理由に選んだ道も、結局は自分で決断した人生じゃない?」という言葉だった。そんなのありなんだと思った。目から鱗だった。
他人からみたら、私は親の言いなりで人生を過ごしてきたやつにしか見えないかもしれないが、そうやって生きていくことを選択してきたのは常に私だったのだ。綺麗ごとだと思う。もはやとんちみたいな話だ。でも、結局親の言いなりになるであろう私にとって彼の言葉は自分自身への最大の言い訳となり、背中を押してくれる言葉となった。
どんな選択だろうと、恥じることはないんだ
結局私は変わりたいと思っていた自分にはなれなかった。そういった意味では彼からの言葉は別に“私を変えたひとこと”ではない。
けれども肩の力が抜けて、息をするのが楽になった。自分に楽をさせないように、自らを恥じて追い詰めていた私は、自分ではかけてあげられなかった言葉をもらい、ようやく自分を許すことができた。
人生において、自分を厳しく律しなければいけない場面は必ずある。でもそれが、本当に自分が望んでいることなのかはもう一度立ち止まって考える必要があるかもしれない。ときには“逃げ”や“妥協”とされることだって、自分が責任を持って下した、恥じることない選択として組み込んであげてもいいのではないだろうか。そんなことを思えるようになった私は明らかに以前の私から変わっていた。
そして、もう一つ変わったことがあるとするならば、彼のことを他人だなんて思っている私はもういなかった。