結婚して1番変わったことは、友人関係でも生活環境でもなく、職場での人格評価だった。

静かに入籍した。職場の周りの人が、会話してくれるようになった

入社以来ずっと「あまり関わらないほうがいい変人」として働き続けた。新入社員時代に同じ部署だった先輩とそりが合わず、先輩から悪評があっという間に広がり、周囲はすぐに私を避け始めた。仕事を覚えたくて質問しても逃げられ、分からないところを相談しようにも誰にも聞けず失敗し、何も分からぬままただひたすら迷惑をかけ謝罪し続ける日々を送っていた。もう少し職場の人と話すことができればと願うも、朝の挨拶さえ目を合わせてもらえない私にはなす術がなかった。

円滑なコミュニケーションのハウツー本を3冊読み、積極的に笑顔で明るく挨拶しても、付箋とお菓子でちょっとしたお礼を丁寧にやっても、日常会話で相手の名前を意識的に呼んでも、何も効果を感じられなかった。

結婚が決まったとき、こんな状況での私の結婚報告は祝福されないどころかむしろ悪評に拍車をかけるかもしれないと不安になり、とりあえず直属の上司と総務部署だけに伝えて静かに入籍した。

結婚指輪をつけて出社し始めて1週間、徐々に私が結婚したことが噂で広まり、同時に「結婚できるぐらいだから意外とまともな人」として会話してもらえるようになった。

朝の挨拶が返ってくるようになり、仕事の質問や相談を聞いてもらえるようになり、あらかじめ確認出来る機会が増えた為に失敗が減り、迷惑をかけることも謝罪することも少しずつ減るようになった。

私は私のままなのに。周りからの人格評価は180度変わった

結婚する前の私と
結婚した後の私で
周りからの人格評価は180度変わった。

私は私のままなのに。

結婚は
「できる・できない」ではなく
「する・しない」でしかない。

独身の素晴らしい人格者がいれば既婚の犯罪者も溢れている世の中において、
「結婚した」という事実は
「結婚した」という意味でしかなく、
そこに人格評価をくっつけるのはまるで意味がない。

そのことを、私は私が人格評価される側の人間になるまで意識したことがなかった。

いや、正確に言うと、私も無意識に人格評価する側の人間だった。

職場では他の社員に対しても
「仕事ができない営業さん、あの歳で独身だって」「やっぱりそうだと思ったー!」
「あの先輩、結婚してお子さんいるんだって」「それは信頼できるね!」
なんて会話が日常茶飯事であり、「結婚]」は人格評価の重要な軸になっていた。

そしてそんな会話を、私はさほど違和感を持たずに聞き流していた。

仕事以外の場においても
道に迷って誰かに尋ねたい時、
旅行中にカメラ撮影を頼みたい時、
エレベーターに乗り込む時、
電車で座る席を選択する時、

なんとなく左手の薬指をチラ見して、(独身者より既婚者のほうが安心)という意識があった。

左手の薬指ではなく、私自身から光るものを見てもらえてこそ

確かに結婚したことで私自身がレベルアップしたことはある。コンビニ飯をやめて栄養バランスや節約も考慮した料理を作れるようになったし、他人と暮らす上での意識の擦り合わせ方や親戚付き合いの作法や四季の行事など、独身時代には意識しなかったことにまで目を向けられるようになった。ただ、それはたまたま私にとって「結婚」がきっかけになったに過ぎない。独身でも、一人暮らしでも実家暮らしでも、性別問わずパートナーや友人とのシェアハウス生活でも、様々なことに目を向けてレベルアップできる可能性はありとあらゆるところに存在している。

私の仕事ぶりが評価されたわけでも、コミュニケーション術が評価されたわけでもなく、ただ「結婚」だけが風当たりを変化させたという事実は、手放しで喜べるものではなかった。

私より「悪評」を見ていた人達が、今度は私より「結婚」を見ているだけであり、私自身は全く見てもらえないままでは何も変わっていないのと同じである。

左手の薬指ではなく、私自身から光るものを見てもらえて初めて正当な人格評価になる。

今はまだ、私自身を見てもらうためのきっかけをもらったに過ぎない。会話できるようになったことに安堵せず、誠心誠意ひたむきに仕事をし、誠実なコミュニケーションを心掛け、私自身を磨くことを怠らずに努力し続けよう。

そして、私自身も無意識に他人の左手の薬指をチラ見したり、それによって安堵したり警戒する癖はもうやめよう。

左手の薬指に光るものではなく、その人自身に光るものを感じるよう、生きていこう。