「ひとみさん、僕、転勤になった」
桜の咲く頃に始まった、楽しい同棲生活の終わる足音が聞こえてきた。彼が転勤族なのは前々から聞かされていたけれど、まさかこんなに早く来るなんて。
彼の転勤先は、今住んでいる大阪からは新幹線の距離の、とある地方都市。「新幹線の距離」と言ったけど、ものの1時間で着いてしまう、別に遠くもない絶妙な距離。
「ひとみさんにはついてきてほしい。でも、仕事のことがあるから、こっちに来る時期は任せるよ。それから、ついてこさせるからには結婚しよう」
突然の転勤に、突然のプロポーズが重なり、私は「お、おう」と変な声を出した。4つも年下の彼の覚悟がにじんだ言葉は、とても嬉しかった。でも喜んでばかりではいられない、今後のことを考えないと。その日の夜のうちに、会社の上司のお姉様方にメッセージを飛ばし、相談に乗ってもらうことになった。
私は大阪の会社に障害者雇用で勤める、経理OLだ。今まで仕事が合わず、転職を繰り返してきた私だが、今の会社はとても働きやすいと感じている。経理という仕事が好きで、誇らしさも感じているし、できれば長く勤めたい。そこで私が考えた案は、3つだ。
- 彼の転勤先の都市にある事業所に転勤させてもらう
- 彼の転勤先から、新幹線で大阪に通う
- 大阪に残って半年をめどに仕事を続け、半年経ったら辞めて彼の転勤先に引っ越す
仕事を続けるという選択肢は儚くも打ち砕かれた
私が当初有力視していたのは、①だ。しかし翌日のランチ相談にて、その希望ははかなくも破れてしまう。会社のお姉様いわく。「彼、1ヶ月後にはもう行っちゃうの?それだと、うちの会社は異動の時期が毎年4月って決まってるし、すぐには難しいよ。それに、向こうの事業所は産休の人が戻ってくるから、人も足りてるみたい。何より、今の部署とは雰囲気が違うよ。今の部署の穏やかな雰囲気を、ひとみさんは気に入ってくれてるみたいだけど。向こうは仕事内容も経理とは変わってくるし、営業さんの都合によって突発的な仕事も発生するから、ひとみさんには合わないかも……」
それなら、②はどうなんだ。私は望みをその案にかけた。「調べてみたけど、会社の規定で新幹線の交通費は出ないって決まってるんだって。自費で来たい?でも、今ひとみさんは会社の近くに住んでるでしょ、会社からしたら、わざわざ遠くに引っ越す合理性がないじゃない?結婚してからなら通るかもしれないけど、それでも通る保証はないよ」まあ、無理ということだ。万策尽きてしまった。私は、結婚する前に会社を辞めなくてはいけない。
産休・育休をとり子育てしながら仕事を続けていくのが当然と思っていた
結婚しても同じ会社で働き続け、産休・育休を取り、子育てしながら仕事を続けていく。そんな未来が自分にも当然訪れるものだと思い込んでいた。仕事を続ける・続けないの選択は、自分の意志ひとつでできると思っていた。でもそれは、必要な条件がそろったうえでの話なんだと悟った。だからと言って、「転勤がない人を恋人に選んでいればなぁ~」とは、全く思わない。仕事は変えられるけど、人は変えられないのだ。彼は優しくて、感情のままに怒ることがない。料理をはじめとした生活スキルも高くて、発達障害を抱えて生活スキルが低いままアラサーになった私にとって、すごくありがたい存在だ。
私は今年、会社を辞めて転勤族の妻になる
今一人暮らしに戻って思うことは、私は一人暮らしが「できる」けど「うまくいかない」ということだ。洗濯物はすぐにためてしまうし、仕事帰りは体調が悪くて自炊ができないことがしょっちゅうで、すぐウーバーイーツに頼ってしまう。そんなとき、支えてくれる彼の存在が、同棲時代は本当にありがたかった。もちろん、一方的に頼るだけじゃなくて、元気なときは料理もするし、洗濯や掃除もする。二人暮らしは、私にとって生活をうまくやっていくソリューションなのだ。それは会社にいるときの私からは見えないけれど、徐々に体調に表れて仕事にも影響を及ぼす。
今日もまた、会社の慶弔情報掲示板に流れてくる結婚報告を見ながら、「この人もいろんなことを考えたのかなぁ~」と、思いを馳せる。私は今年、会社を辞めて転勤族の妻になる。仕事を続ける方法は考えまくったけれど叶わなかった私。会社のことは恨まないから、ひとこと叫ばせてくれ。関西生活約10年で身についたエセ関西弁で。
好きで寿退社するわけちゃうからな!覚えとけよ!