憧れの仕事、魂を削ってがんばってきたこと、めいっぱいおしゃれをする喜び、好きなひとに、好きな時に会いに行く自由。
ぜんぶ、ぜんぶ、わたしがわたしのままで息をすることができる、きらめくような瞬間だ。
わたしの人生は、このきらめきのためにある。
だれにも、奪わせてなるものか。
だからわたしは、たぶん、結婚しない。こどもも産まない。
7年ほど前、中学生のときから、そう決めていた。

結婚をまさしく「人生の墓場」だと考えていた

いまの結婚のシステムや、それをとりまく環境は、基本的に女性から搾取することで成り立っていると思う。名前を奪い、キャリアを奪い、かわりに「嫁」や「母」という均一なラベルを貼って、家庭に閉じ込めておかれてしまう。
女性が働くことがあたりまえになった令和の世でも、それは一向に変わらない。むしろ、女性の背負う重荷は、いっそう重くなっているように見える。
働く女性は、つねにキャリアか家庭かの二択を迫られ、一度家庭を選べば元の場所に帰ることはひどく難しい。仮に両立できていたとしても、その努力は「女は強い」なんて都合のいい言葉で不可視化されている。懸命にがんばっていることが、あたりまえの、取るに足らないことと捉えられたとき、ひとは壊れてしまうのではないだろうか。
事実、SNSには、一人で抱えるにはあまりに大きな問題に直面する女性たちの叫びが日々渦巻いているようだ。
そんな理不尽を目の当たりにして、結婚をまさしく「人生の墓場」だと考えている女の子は少なくないだろう。わたしもそのひとりだった。

その考えに至るのは自然ななりゆきだ。しかし、そこには大きな危険がある。
それは、現状への怒りや悲嘆が、いつのまにか、結婚や出産を選んだ女性の人生に対する憐れみや蔑み、軽視にすり替わってしまうことだ。家庭を選んだことにより、好きなものを失ってしまった女性たちを見るたびに、「こんなふうにはなりたくない」と思ってしまうことだ。そのゆがんだ憎悪は、自分自身をも蝕む、強烈なミソジズムにつながってゆく。
結婚と搾取を、ほとんど同じ意味にとらえてしまうわたしは、そこに片足を突っ込んでいると、ある日、ふと気がついた。

優秀な研究者だった母 わたしを産んだことに後悔は感じていないのか

わたしたちは、たくさんの女性の悔し涙の上に生まれおちた。かなしいけれどそれは事実だ。
わたしの母も、そうだった。母は優秀な研究者だった。もしわたしを生まなければ、母はもっと人生を謳歌できていたのではないか、仕事も、好きなことも、もっともっと楽しめていたのではないか。そう思ってしまったことが、何度もあった。一年ほど前、母親に産んだことを後悔したことはないのかと聞いたことがある。母はすこし考えて「できなかったことはたくさんあるけれど、後悔はない」と言った。「こどもを育むことは、親であるわたしが、大人になる過程でもあった。わたしは大人とは、なにかを育てることができる人のことだと思う。それは、こどもでなくても、生徒でも、後輩でもかまわない。彼らを育てることは、自分が今までの人生で得たものを注ぐこと。それは彼らの糧となると同時に、自分の中でより確かなものになる。思えばあっという間だった。でも、わたしにとって子育ては、確かにきらめくような時間だった」その言葉が嘘でないことは、顔を見ればわかった。

母親たちは、妻たちは、脱落者ではない。そんなはずがない。彼女たちが犠牲者に見えてしまうのだとしたら、それは世界が根本から間違っている。いま、強くそう思う。
キャリアに邁進することも、家庭を守り産み育てることも、同じように困難で、同じように立派であり、おなじように人生だ。どちらを選んでも、両方を選んでも、あるいは何も選ばなくてもいい。家庭を築くこと、好きな仕事をすること、そのどちらもが本来きらめくような瞬間であるべきなのだから。

仕事に生きるつもりのわたしと、わたしを育てることを選んだ母の人生の両方を抱きしめたい

わたしには夢がある。ほかの幸せなどいらないと思うほどにやりたいことがある。すこしでもそこから目をそらせば、その夢はきっとかなわない。
だから、やはりわたしは結婚しない。しないけれど。
わたしは、これから仕事にいのちを燃やすであろうわたしの人生と、わたしを育てることを選んだ母の人生の両方を、抱きしめていたい。そのどちらのきらめきも、ただ愛していたい。
それが容易くできる世界が欲しい。

これは、フェミニズムというよりは、たまたま女性という性別をもって生まれた人間の、尊厳の問題だと思う。女が個人であるまま、自分の人生を楽しむ権利を勝ち取るための戦いは、きっとひどく険しいだろう。
でも、ひとつの声は小さくとも、重なり合えば大きなうねりとなるはずだ。
仕事に生きるつもりのわたしは、まずは自分の職場から、いつでも同僚がキャリアに帰ってこられる世界を、なんとしてでもつくる。そう、決めている。
どうか、このエッセイ、あるいは決起文が、そのうねりのひとかけらになりますように。
祈りのような意志をこめて。