親の期待と、担任の期待の板挟みに、複雑な気持ちで応えた

 3者面談で、親の目の前で担任の先生から「次の学期は学級委員に立候補してほしい」と言われたことはありますか?
 私はあります。みんなが高校受験のため内申点を意識し始める中学2年生の夏でした。内申点を上げるのが難しいと言われていた私の中学校は、内申点を上げるためにも目立ちたいと思う人が多くて、学級委員やイベントの実行委員はいつも誰かがやってくれました。みんな自分のことでいっぱいいっぱいだったので、目立ちたがり屋同士が対立したり、その周りに派閥ができたり、クラスの雰囲気は良くありませんでした。私は、やりたい人がやればいいというスタンスで、倍率が低い委員や係をやっていました。今思うと、かなり斜に構えていたと思います。
 私は成績も悪くないし、目立ちたい子たちの対立構図にも入っていなかったので、先生にとって都合がいいのかなと思いました。親は期待されているという風に受け取り「そう言ってもらえるなんて、いいことじゃない。絶対立候補しなさい」と言いました。
 まぁ、立候補したところで当選するわけないだろうと、手を挙げてみると、対立構図に入っていないような私と同じようなスタンスのクラスメイトの票が集まり、思ったよりあっけなく学級委員になりました。

「調整がうまい」と押付けられた役で純粋に学校生活を楽しめなくなった

 こういう役割を回されるのは、1度限りではありませんでした。歌のスキルを上げたくて入部した合唱部でも、先輩や同級生から指名を受けて、部長になりました。理由は「顧問との調整がうまいから」。やや気難しかった顧問と、一つ上の代の先輩方はうまく行っていませんでした。そんな中の部長指名は、はっきり言って貧乏くじでした。
 部長になってから、純粋に部活を楽しむことができなくなりました。今日はだれが休んでいるとか、今週中にイベントの申請書類を書かないととか、部員からの不満を顧問に伝えるかどうかとか、そういう、部活動の内容に関係ないことで頭がいっぱいでした。
 引退も間近に控えたある時、顧問から呼び出され、「(本来の引退時期の後に)演奏会を企画している。部員に言え。」と言われました。今までやったことがないことで、唐突だったので、混乱しました。期待してもらっているからチャンスをくれたんだと自分を無理やり納得させることはできても、部員に言ったときにこれ以上負担が増えることに反発する人もいるだろうなと思うと気が重い状態でした。「引退前の同級生の負担を増やしたくないので、考えなおしてもらえないか」と言いましたが、聞いてもらえませんでした。

顧問の前で泣くと負けた気がして悔しくて、その場は涙をこらえた

 交渉に失敗したので、自分だけはやる気があるように振舞いました。でも自分も限りなくモチベーションがない状態で、部員のモチベーションを下げないように振舞い続ける中で限界を感じて、顧問に相談に行きました。
「今すでに忙しく、新しいことに取り組むのはみんな限界なので、演奏会をやめたいです」という私に、顧問は激昂してこう言い放ちました。

「お前は限界を低く見積もりすぎている」

 顧問の前で泣くと負けた気がして悔しくて、その場は涙をこらえましたが、部室に戻ると涙をこらえきれず、初めて、同級生の前で泣きました。同級生は私の葛藤を受け入れて「みんなできる範囲で、やりきろう」と言ってくれました。無理しなくていいと気が楽になり、なんとかその演奏会をやりきることができました。「できるわけない」と思っていた私は、悔しくも顧問の言葉を証明してしまったわけです。
 よく考えると、昔も今も、自分が勝手に設定した限界を超えさせてくれるのは周りの期待だったことに気づかされました。それからも、何か任されるたびに、顧問の顔とその言葉が頭に浮かびます。あの言葉が、限界を超えた経験が、人生の岐路で難しいチャレンジを選ぶことを後押ししてくれます。認めたくないですが、間違いなく私を変えたひと言です。