「成績優秀」「大人からの信頼も厚い」「頼れる姉御」それが私のパブリックイメージ。全然違うのに。そんな、自分の中の私と世の中が求める私のギャップに、幼い頃から生きづらさを感じていた。
そんな私を救ったのは、当時所属していた弓道部の顧問の一言。
「お前は不器用なんだから、人一倍練習しろ。」
先生は気付いていたのだ。私が実は不安なこと。苦手なことだってあること。出来る振りを頑張っていたこと。
第一子として生まれた私は、沢山の大人に囲まれて育ってきた。私が笑うと大人は喜ぶ。知らぬ間に周りの期待に応えようとする癖があったのかもしれない。
2歳の頃、弟が生まれた。続いて、いとこも6人。家では勿論、親戚の集まりでも「お姉ちゃん」で、常にしっかりしなきゃ、という気持ちがあった。
そんな様子が雰囲気にも出ていたのだろう。学級委員や、実行委員、何かと顔や名前が出る立場は、いつも私の役割だった。弓道部でも部長だった。部員は、いつも私を頼り、そのことは嬉しい一方、プレッシャーでもあった。
私の中にあったのは、やっぱり「しっかりしなきゃ」。部長として、弓道部の恥になる訳に行かない。頼れる先輩でいなくてはいけない。両親や先生方は進路の期待もしているだろう。成績はトップ以外ありえない。
私は、できないんじゃない。「まだ」できないだけ
今考えれば、相当追い詰められた学生生活だった。周りがそこまでの期待をしていたかと聞かれれば、そんなことはないと思う。ただ、当時の私は、「第一子」「部長」という自分の肩書に縛られて、その言葉の辞書通り結果を出さねばと思い詰めていたのだろう。
そんな私の心にすっと落ちてきたのが、「お前は不器用なんだから、人一倍練習しろ」という言葉。
そうか、私は不器用なのか。だからこんなに苦しいんだ。なりたい自分がいっぱいいるのに、いくらやってもなれない。いつも必死。
でも不器用だから。不器用だから、手いっぱいになっちゃうのは仕方ない。沢山のなりたい自分をそつなくこなせなくて当然だ。
私の、いくら練習しても理想の「部長」にはなれないという憤りに気付いた先生は、「練習しろ」と投げかけた。その言葉には、「練習すれば、できるようになる」という意味が込められていたと思う。
今まで言えなかった「できない」「なれない」という気持ちを救ってくれた。いつも自分に不満を抱えていた私を楽にしてくれた。
私は、できないんじゃない。「まだ」できないだけ。出来る猶予はいくらでもある。練習だ、訓練だ、努力だ。
「できない今」に縛られず「できる未来」を想像して努力する
なりたいのになれなくて、できなきゃいけないのにできなくて、そんな自分が嫌いだった。でも今は、胸を張って言える。
「私はできる。私ならなれる。」
そして、先生のようにできない私を認めてくれる人もいる。できないことを肯定してくれる人もいる。
これからの人生、思い通りにいかないことや、悔しい気持ちになることだって沢山あるだろう。そんな時大事なのは、「できない今」に縛られるのではなくて、「できる未来」を想像して努力すること。「なれない私」を嫌うのではなくて、「なれた私」を目指して頑張ること。
先生の言葉は、私の人生を軽やかに、そして生きやすくしてくれた。