25歳の冬。久しぶりに母親と言い合いをしてしまった。
場所はラーメン屋、言い合いのタネは私の肌荒れ。

「辛いに決まってんじゃん。死にてーわ」。私の肌荒れを心配する母に私は言った

ここ数年、私はずっと肌の調子がよろしくない。
目元はカサカサしているし、ニキビができては治りかけてまた出来てと、荒れに荒れ狂っている。最近はマスク生活のせいで蒸れているんだか、乾燥しているんだかよく分からなくなり、肌も混乱しているのかもしれない。

気にしていないと言えば嘘になるが、何事もいい時があれば悪い時があるもの。
今、私の肌は季節に例えるならば冬なのだと、そう自分に言い聞かせてそこまで気にしないようにしていた。

しかしながら、私の母はそんな私の肌を見て、「またぼつぼつ出てきたね。」だの「○○っていう人がYouTubeで肌にいいこと教えているみたいよ。」だの、ちょいちょい考えるきっかけを与えてくる。親から投げかけられる「こうしたほうがいいんじゃない?」という提案は、たいがい窮屈なものが多い。言われるたびに、ふわっとした返事をしてうまい具合にスルーしてきた。

そんなある日、二人で出かけた帰りに夜ご飯を食べて帰ろうとラーメン屋に入った。
席に着いてマスクを外した時、「肌荒れはやっぱり病院に行った方がいいみたいよ。」と母が一言。そんなこと分かっている。分かっているし、過去に病院に行ったこともある。

「前に行ったけどイマイチだったもん。」
「他にもっといいところあるかもよ。そこまで探してないでしょ?」
「ねぇ、私って悩まなきゃいけないの?そりゃ良くなったら良いけど何したってすぐに良くならないし、そこまで考えたくないんだけど。」
「だって、辛くないのかなって…。」
「辛いに決まってんじゃん。死にてーわ。」

鏡も見たくないし、誰かと話すのも最低限で済ませたい。本当はそれだけ気にしているから

あーあ、言っちゃった。

母は、それ以上何も言わず、私は一目散にラーメンを啜った。産んでくれた相手に対して『死にたいって、母親的には聞きたくない言葉ナンバーワンだよね。』って思いながら、でも言ってやりたくなってしまった。

それは、本当はそれだけ私が気にしているから。
本当は鏡も見たくないし、誰かと話すのだって『かわいそう』って思われていそうで嫌だから必要最低限で済ませたいし、『このままじゃすっぴんなんて一生誰にも見せられない。』って、心のどこかでは思っている。事細かに言葉にしていたら泣きそうだから、死にたいって言葉で片付けてしまった。

悩みを悩みにはしたくない。むしろ伸びしろだと捉えたいのだ

お母さん、ごめん。

ただ、私は肌がボロボロでも自分を愛したいと思っている。
自分が思い描く理想と違っても、それでも私って頑張って生きているよねって、何かのきっかけで肌の調子もよくなるといいねって、そんなほのぼのとした人生を送りたい。

悩みは、悩もうと思うから生まれるのではないだろうか。正直、自分の見た目に対して『もっとこうだったらな』と思う部分は沢山ある。
しかし、それを悩みにはしたくない。悩みじゃなくて、むしろ伸びしろだと捉えたいのだ。なんて、日々弱い自分とせめぎ合っているが、一旦この場を借りて記しておきたい。

今でこそ言葉に出来るが、あの瞬間はうまく伝えることが出来なかった。
死にたいなんて、心の底から思っている言葉ではない。堂々と生きたいからこそ出てきてしまった言葉だ。母があれからこの話題に触れてくることはないが、やたらと乳酸菌入りの食べ物を食卓に出してくれる。どこからか肌にいいらしいと情報を仕入れてきたのだろう。

いつも気にかけてくれてありがとう。

お母さんには、どんな時でも「かわいいよ。」って言ってほしかったのかもしれない。25歳にもなって、「それでも私かわいいよね。」なんて言えなかったけど。
でも、素直にそう言っていれば「まぁね。」って返してくれて、ゆっくりスープを味わえたかもしれない。