私は北海道で、演劇を主として活動している団体に所属している。
こういう時代になり、もちろん活動の幅が狭まった。
それでも、この「エッセイ」というものも含めて、自分のことを外に発信したり、物語を作ったりという、今、世の中で不要不急だと言われているものが今こそ、必要だと信じてやまない。

そんな私の活動の原点は小学校まで遡る。
小学生の私が一番好きだった行事は学習発表会。
小学校高学年で書いた将来の夢は「ステージに立って、たくさんの人ことを感動させたい」。
その頃の私が好きだったものは劇団四季のミュージカルというジャンルだった。
だから現在やっている現代劇というジャンルとは少し異なるし、きっとその頃の私が想像していた会場の大きさやお客さんの数と比べたら、圧倒的に少ないと思う。

コンプレックスに勝てなかった、小学生の私

小学校高学年のときに一度、劇団四季の「お問い合わせ」というところにメールを送った記憶がある。
「私はバレエやダンスの経験がありません。それでもオーディションを受けることはできますか?」
そんな内容だったと思う。
メールとはいえ、憧れの場所に連絡をしてみたときの、あのドキドキや手が震えたことは忘れられない。
そして、数日後、丁寧な返信メールが送られて来た。
「HPを見てくれた通り、狭き門です。そして多くの団員が小さな頃からダンスやバレエ、
ボイスレッスンを受けています。研修生という制度にもオーディションが必要です。
実際に劇に出られるのは、さらにそこからオーディションを受けなければなりません。
しかし、研修生オーディションはどなたでも受けられます。参加をお待ちしております」
要約すると、そういう内容だったんじゃないか。
今思えば、嘘偽りなく厳しい現実をしっかりと教えてくれた劇団四季の方には感謝しなければならないと思う。
しかし、そのときの私は『ダンスを習ったことがない』というコンプレックスに勝てなかった。
それを振り切れなかったあの頃の私では、当然、受けたところで厳しいだろうとも今では思う。

私の夢はかなっていた、そう気づかせてくれた一言

そんなこんなで心の中で挫折を味わった私は、将来人前に立ちたいという気持ちを一旦閉まったまま大学生になった。
そして、大学に入ってから、「何か大切なことが足りていない。このまま、ただ大人になって仕事して死ぬのは嫌だ」
という漠然とした不安に襲われ、今の団体への所属を決めたのだ。
所属して数年経ったある日、そんな私の様子を見たおばあちゃんが言った一言。

「将来の夢が、叶ったんだねぇ」

小学生の頃、想像していた大人の私はきっと今ぐらいの年齢だろうと思う。
勝手に私は結婚していることになっていたし、大きなステージに立っていた。
現実ではどちらにもなれなかった、という考え方をしていた私はおばあちゃんの言葉に本当に驚いたけれど、それと同時に、とっても大切なことに気づかせてもらえたのだ。
「そうか、私の夢は、叶っていたのだ」
考え方ひとつなんだなぁと思う。小学生の時に味わった小さな心の挫折で、私の夢は叶わないものになるところだった。
でも今の私は好きなことをして、人に何かを発信できている。本当に幸せ者だ。
きっとなかなか経験できることじゃない。
心にずーーーっとつかえていた嫌なものが取れた。今でも忘れられない、大切な一言だ。