大切な友人の訃報を受け止めきれず、母にすがった

2021年1月22日金曜日。私は大切な友人の訃報を聞いた。彼は中学時代からの友人で、いつも私の味方をしてくれるあたたかな毛布のような存在だった。1カ月前には一緒に食事をし、帰りに大濠公園を散歩して、クリスマスならではの光の演出に「博多駅のイルミネーションよりもこのくらい控えめな灯りの方が好き」だの「この灯りは手を近づけても熱くないからLEDやね。白熱灯はうんぬんかんぬん、フィラメントが~」みたいな話をしたばかりだった。

私にとって彼は、本当に数少ない友人の1人だった。もう耐えられなかった。お腹は空いているのに食事が喉を通らない。動悸が止まらなくて、ベッドに入っても全く眠れない。涙が止まらない。次の日、初めて仕事を休んだ。そして、初めて自分から母に相談したいことがあるとLINEした。

本当は、自分1人だけの大切な宝物として、心の中に留めておきたかった。だけど、自分でもびっくりするくらい気が動転して、藁にもすがる想いで信頼のおける人々に助けを求めた。

みんな「それは辛いね」「たまりませんね、たまりません」と寄り添ってくれた。ほんの数十文字のメッセージだけど、寄り添ってくれる人の存在にすごく救われた。

「お母さんもね」と自分の話をはじめてしまった母

母のいる実家に帰ると、私は耐えきれずこれまでのことやら、今の心境やらを洪水のように話してしまった。母は私の話を聞いてくれた。寄り添ってもらえて嬉しいと思った。

……だけど、私の話がひと段落すると「お母さんもね~」と別の話になってしまった。そして、泣き出した。なんだか、本当は言いたくなかったけど、もういっぱいいっぱいでどうしょうもなくて溢れてしまった想いなのに、当たり前の会話みたいに母が自分の話をするための材料みたいに扱われたような気がして、自分の中で何かがストンと抜け落ちてついていけなくなってしまった。それでも、なんとなく仲睦まじい雰囲気が維持されていた。

いつもは自分の話すことを熟考して、相手にどんな反応をされても気にしなくていいように、自分の思ったことをすご~くふるいにかけて話すのだけれど、やっぱり自分にはその方がいいのかなと思った。

極めつけは、私が彼の家に後日お邪魔する際に、「自分の立場がなくなるから」という理由で何か包んだほうが良いか聞いてきて、私がお菓子などを渡すときに「これ母と私からです」と言うように言われたことだった。

もともと人一倍体裁を気にする人ではあったが、私にとって彼は自分から唯一気軽に食事に誘ったり、相談に乗ってほしいとお願いできる特別な存在で、中学時代からの思い出もたくさんあって、お菓子やお花を渡すのはそういう決まりがあるからそうするのではなくて、気持ちを伝えたいからそうしたいのに、誰が同じ状況であっても変わらないような対応と、この場に及んで「自分の立場が~」と口から出た時は怒りで全身の血の気が引いた。

守りたい自分を保つために、心の中の声を聞く

これまで母に彼のことはあまり話していなかった。
私は本当は私だけの中に留めておきたかったんだと思う。
誰にも触らせたくなかった。そっとしておいてほしかった。

どうして人のテリトリーに土足で踏み込んで来るのだろう。そもそも母に相談したことが間違いだった。

だけど、そんな考え方が良くないってことは本当は自分でも分かっている。きっと、母は母なりに思うことがあったのだと思う。本当は母にそんな悪気がないっていうことも分かっている。って言っておかないと後日私自身が後悔することも知っている。

辛い時に「辛いね」と寄り添ってくれる。そんな一言で脆い心はあたたまる。

守りたい自分の壁を土足で踏み越えられる。そんな一言で脆い心は怒りや哀しみで粉々になってしまう。

だけど、「はるかなら大丈夫」と私の中の彼がいつも言ってくれる。だから、私は大丈夫。

私を変えた一言というには若干趣旨が違う気がするけれど、
誰かに伝えないと耐えられませんでした。読んでくれてありがとう。