「下半身が隠れるやつ、シルエットが出ないやつ」
これが私が洋服を買うときの条件だ。それはもう脳に染みついているもので、その条件に当てはまらない服は無意識のうちに排除される。

そのため私はショートパンツやミニスカートだけでなく、たけが長くてもシルエットが出るものは選ばないので、広がりにくいデニム生地や薄い生地のジャージ、フレアスカートなどもほとんど着ない。そうなってくると、かなり限られた生地とデザインになってしまい、流行りの服で着られるのはほんの一部であった。

「かわいいね」と言えなかった。自分の器の小ささに嫌気がさした

もちろん今まで何もしてこなかったわけではない。ダイエット方法は覚えるほど調べたし、実際に少し痩せたこともある。しかしいつも目標にたどり着く前に何らかの言い訳をしてやめてしまう。

私は自分にとことん甘い。
「明日やればいいっか。」
「来月から始めればいいっか。」
これを繰り返すと、私の「明日」も「来月」も一向に訪れず、自己嫌悪に陥り、ストレス発散のために食べる。これの繰り返し。

ある日仲の良い友達と食事に出かけたときのこと、久しぶりあった彼女は、カラコンをしてブランド物のカバンと靴を身につけていた。そして最も目に付いたのは、つい先日私があきらめたミニスカートをはいていたことだ。柄も形もどストライクだったが、もちろん買うという選択肢はなかった。

「なんか雰囲気変わったね。」
そういうのが精いっぱいだった。置いて行かれたような寂しさと、嫉妬に似た感情が押し寄せて、しばらく何も言えなかった。かわいいねとか、似合ってるよって素直に言えなかった。普段は隠している自分の汚い部分が隠し切れない自分の弱さに気づいた。自分の器の小ささに嫌気がさした。

「私だってやればできる」いつになったらやるの?

改めて考えてみると、このような経験は決して容姿のことだけにはとどまらない。
恥ずかしい話だが、私は人の幸せや成長に素直に喜ぶことができた経験があまりに少ないことに気が付いた。

相手の成長を聞くと真っ先に羨ましいという感情がきて、それを消し去るように嫉妬心とそれに負けまいとする対抗心に火がついて、あっという間に言い訳が思いつき、自分を納得させる。
「大丈夫、私は負けてない。私だってやればできる」

これによって私は何か行動することもなく、あの悔しさを忘れることができる。まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるというものだ。

確かにこの方法は自分を追い詰めないし、気が楽になる。今は個人の独自性を尊重される社会だから「自分は自分」と開き直ることも簡単だ。
しかしその考え方は私には向いていない。気にしないようにしてもどうしても他人と比べてしまうし、何より自分が今の自分に納得していない。

「私だってやればできる」
じゃあそれっていつになったらやるの?

人生最後のダイエットをして、あのミニスカートをはく

私はジャニーズグループの嵐のファンである。ルックスとパフォーマンスは勿論のこと、メンバー間の仲の良さや一人一人の人間性も尊敬している。

その中でも特に相葉雅紀さんは、みんなを盛り上げるムードメーカーのような存在でありながら、誰にでも優しい人柄と凄まじい努力をする精神力にいつも感動する。
彼はデビューした3年後に企画のために挑戦したサックスの練習のし過ぎで肺が破れてしまったことがあった。もともと体が丈夫でない彼はもうステージに立つのは難しいと言われたこともあったという。

Netflixの「Arashi’s Diary」や、日本テレビ「相葉マナブ」で、嵐がうまくいかなかった時代メンバー間でギクシャクしないのかという質問に対しこうおっしゃっていた。
「人のせいにしない。成功するまで頑張る。そうすれば失敗じゃない」

2021年1月、現在私は何度目かわからないダイエットに日々励んでいる。
2021年私の宣言は「人生最後のダイエットにする」
そしてあのミニスカートをはいてやる。

……今年中に達成できるといいのだけれど。